河沼郡青津組立川村

陸奥国 河沼郡 青津組 立川(たちかは)
大日本地誌大系第33巻 112コマ目

何れの頃にか釈空也村東の川を歩渡せしに魚集て足元に子を産む。因て17日の間川中に立て六字の名號を唱えその生るるを待しとて、その地を待淵(今訛て松淵という)と称し村を立川と名くという。

府城の西北に当り行程3里9町。
家数64軒、東西4町14間・南北2町26間。四方田圃(たんぼ)にて、東北は川に近く亥(北北西)の方耶麻郡慶徳組赤星村の端村向川原につづく。

東3町56間耶麻郡塩川組上下遠田両村に界ひ鶴沼川を限りとす。
西10間砂越村の界に至る。その村まで2町余。
南6町54間京出村の界に至る。その村まで10町余。
北8町34間赤星村に界ひ日橋川を限りとす。

山川

鶴沼川

俗に佐野(さの)川とも(おほ)川ともいう。下同。
村より辰巳(南東)の方5町にあり。
京出村の方より来り、北に流るること13町日橋川に合す。
広40間余。

日橋川

村北8町余にあり。
上下遠田両村の境内より来り、鶴沼川に合し西北に流るること3町余砂越村の界に入る。

寺院

立川寺

村中にあり。
東國山と號す。府下大町一桂院の末山真言宗なり。
開基の年代詳ならず。
旧はここより北1町余にあり。慶長2年(1597年)頼音という僧仙道岩瀬郡より来てここに移すという。
本尊大日客殿に安ず。

聖天堂

客殿の左にあり。


参照・補足

この村はむかし大同年間(806~810年)頃、猪苗代の地が陥没して湖底に沈んだ村から六角氏の先導によってこの地に集団移住したと伝えられている。
また、空也が待渕にて魚の卵の孵化するまで七日間、川中に立って過ごされたことから立川という名称がつけられたとも伝えられる。
厳島神社境内に石造りの道標が立てられている。

外部リンク等


立川地区の社寺

法人番号公表サイトで検索すると下記の登録がある
法人番号 商号又は名称 所在地
3380005008758 嚴島神社 河沼郡会津坂下町大字立川字中立川100番地
6380005009027 立川寺 河沼郡会津坂下町大字立川字中立川52番地

6.神社
厳島神社 祭神:市杵島姫神 祭日:九月一日(旧九月十日) 中立川一〇〇番地。鎮守神。
菅原神社 祭神:菅原道真 祭日:七月二十五日(旧六月二十五日) 東立川地内。
大山祇神社 祭神:木花咲耶姫 祭日:九月九日(旧九月九日)
神明神社 祭日:六月一日(旧六月一日) 中立川七七番地。
権現神社 祭日:四月二十一日(旧四月二十一日) 金山一二六番地。
十二将神社 祭神:十二将軍 祭日:特にない 十二神七二番地。
雷神社 祭日:六月六日(旧六月六日) 館ノ前堤防上。
金刀比羅神社 立川寺境内。安永(1772~1781年)の頃、吉田道作が四国金刀比羅宮より勧請。
7.寺院
東国山正寿院立川寺 真言宗智山派 本尊:大日如来坐像 像高:七十二糎 総高:百二十七糎
歓喜天堂 大聖歓喜天を祭る。祭日:八月二十三日 立川寺境内。会津坂下町にては唯一のものである。

※立川地区集会所の地内に幾つか小祠が鎮座している。上記のうち幾つかはこの地に遷座したものと思われる。
最終更新:2025年10月30日 20:35