府城の西北に当り行程2里29町。
家数25軒、東西1町26間・南北2町20間。
四方田圃なり。
東4町20間
笈川組堂畠村に界ひ鶴沼川を限りとす。
西は村際にて
十日町村に界ふ。その村は未(南南西)に当り2町40間余。
南は村際にて
中目村に界ふ。その村まで3町。
北3町12間
立川村の界に至る。その村まで10町余。
また
亥(北北西)の方3町
砂越村の界に至る。その村まで10町40間余。
辰巳(南東)の方2町10間
履形村の界に至る。その村まで7町50間余。
山川
鶴沼川
村東2町計にあり。
履形村の境内より堂畠村の地を過ぎ来り、10町北に流れて
立川村の界に入る。
寺院
京安寺
村中にあり。
長龍山と號す。東青津村浄泉寺の末山なり。
草創の年代詳ならず。
もとは真言の僧侶住せしが、慶長7年(1602年)長祝という僧住してより曹洞宗となる。
本尊弥陀客殿に安ず。
最終更新:2020年05月06日 19:35