寛文中(1661年~1673年)までは小坂下に作れり。
府城の西北に当り行程3里。
家数33軒、東西3町・南北1町15間。
西は坂下村に続き三方田圃にて東は宮川に近し。
東2町・北1町、共に
坂下村の界に至る。
南4町
葉林村の界に至る。その村まで7町40間。
神社
御稷神社
祭神 |
御稷神? |
相殿 |
伊勢宮 6座 |
熊野宮 3座 |
稲荷神 3座 |
八幡宮 |
諏訪神 |
鹿島神 |
白山神 |
大明神 |
姥神 |
御稷神 |
雷神 |
草創 |
不明 |
村東2町にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。
神職 渡部丹波
寛文中(1661年~1673年)河内経長というもの当社の神職となり相続いて今に至る。経長は今の丹波政晴4代の祖なりという。
古蹟
館跡
村中にあり。
今民家となる。
何れの事にか渡部中務(諱と失う)という者住し、天正の初め(1573年~)荒井丹波某住し、同10年(1582年)の頃は伊藤勘解由某住せしといい伝う。
古地図
鶴沼橋の西手から、また羽林から北に伸びる道の合流地点付近が旧・古坂下地区
最終更新:2024年04月16日 18:19