耶麻郡川東組大原新田村

陸奥国 耶麻郡 川東組 大原新田(おほはらしんでん)
大日本地誌大系第32巻 14コマ目

寛文中(1661年~1673年)肥後守正之命じて岩弓堰を鑿り、酸川野村より4軒の百姓を移してその境内の原野を墾らしむ。その後漸々に聚りて民居となる。

府城の東北に当り行程8里。
家数23軒、東西2町・南北50間。
山中に住し四方に田圃(たんぼ)あり。

東6町白木城村の山に界ふ。
西5町木地小屋村の界に至る。その村まで25町。
南4町・北2町、共に酸川野村の山に界ふ。

この村は福島街道にて、村東に一里塚あり。

水利

岩弓堰

寛文中(1661年~1673年)この村を開かん為に鑿つ。
村の丑(北北東)の方にて岩弓川を引き水原堤に入る。

水原堤(みつはらつつみ)

村の丑(北北東)の方12町にあり。
周300間。
延寶3年(1675年)に築く。
山中にて冷水なれば岩弓堤の水を(ここ)に湛えあたためて、(それ)より田地の養水とし木地小屋村の方に注ぐ。



大原観音の松の説明文より
町指定天然記念物
 大原観音の松
  (昭和四十八年十二月二十日指定)
 この松の木は元禄年間硫黄採掘と温泉の利権をめぐって境界の争いを起した時会津藩の硫黄採掘の取締遠藤茂左衛門が江戸府に際し観音に勝訴の祈願を込め杖にしてきた桜を指し、之が根付けば勝訴、枯れれば敗訴と言い残して発った。幸いに桜も根付き勝訴となりお礼に松と柳を植えた、その松であり樹高二十九米、胸高幹周四・二米、樹齢推定300年の巨木である。桜は昭和の始め枯死し、柳は二代目が成長しつつある。
   福島緑の文化財登録第三四二号
         猪苗代教育委員会
     (平成三年八月十五日設置)
※元禄元年:1688年。1米=1m。