耶麻郡川西組五十間新田村

陸奥国 耶麻郡川西組五十間新田(こしつけんしんでん)
大日本地誌大系第32巻 34コマ目

加藤氏の時寛永15年(1638年)猪苗代の城を守しめんため、仙道より足軽53人を(かか)え新在家村境内を墾り給田とし田邉仁右衛門という物頭を置く。加藤氏石見国に遷されて後みな郷里に帰りしが、肥後守正之封に就いて後これを呼返し旧の如く抅置き、かわるがわる猪苗代城に番衛し城代に属す。
川西組諸村の間にあれども川西組に隷せず。

府城の東北に当り行程4里。
家数53軒、東西6町7間余・南北5町15間。
四方に田圃(たんぼ)あり。
諸村の地と相雑はり界域を量り難ければ隣村の行程をあく。あぐ

巳(南南東)の方新在家村まで5町30間余。
戌亥(北西)の方湯達沢新田村まで10町30間余。
西は土田新田村まで12町40間。

土産

蘿蔔(すずしろ)*1

この村の産、味辛く他産に勝れり。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
草創 寛永15年(1638年)
村北40間にあり。
鳥居拝殿あり。
この村の持なり。

古蹟

田邉屋敷

村南にあり。
加藤氏の時物頭を置し地なり。
東西60間・南50間。





余談。
この地区の東側にも神社があるのですが、これは何神社でしょう?





最終更新:2020年06月30日 13:50

*1 新年の七草粥に用いるダイコンの異名