耶麻郡塩川組深沢村

陸奥国 耶麻郡 塩川組 深沢(ふかさは)
大日本地誌大系第32巻 46コマ目

府城の北に当り行程2里33町余。
家数23軒、東西1町20間余・南北1町。
東は山に近く西南に田畠あり。北は田中村に続く。

東12町余竹屋田中両村の山に界ふ。
西2町20間田中村の界に至る。
南4町28軒三橋村の界に至る。その村は未申(南西)に当り9町50間。

この村米沢に通る裏街道なり。

端村

新田(しんでん)

本村より8町東にあり。
家数2軒、東西50間・南北20間、山間の住す。

水利

駒形堰

三橋村の方より来り田地の用水となり田中村の方に注ぐ。

狐堰

三橋村の方より来り田地の用水となり田中村の方に注ぐ。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 伊勢宮 2座
   稲荷神
   富士神
   菅明神
   山神
   腰王神
鎮座 不明
村の丑寅(北東)の方小高き所にあり。
鳥居拝殿あり。北小路大久保播磨仮にこれを司る。

寺院

浄泉寺

村中にあり。
平塚山と號す。弘治3年(1557年)葉山という僧建立し、本州相馬同慶寺10世快巖を請て開山とす。
天正年中(1573年~1593年)兵燹(へいせん)に罹て院宇塔頭みな燒亡し、観音の霊像のみ残れりという。即同慶寺の末山曹洞宗なり。
本尊十一面観音(運慶作といい伝う)客殿に安ず。

五輪2基

境内にあり。
平塚亮貴夫婦の墓をいい伝えれども文字なし。

古蹟

館跡

村中にあり。
1町四方。
何の頃にか平塚亮貴という者住せしとぞ。

寺窪村跡

村の東南、山間にあり。
往古は寺窪とて民家あり。何れの代にか廃す。今は字のみ残れり。

旧家

平塚善十郎

この村の肝煎を勤む。平塚亮貴が11世の孫という。系図なければ詳なることを知難し。





余談。
熊野宮の相殿神、菅明神は菅原道真の天満宮ではなく郡山市湖南町(福良村)にある隠津島神社の神の事でしょう。
最終更新:2020年07月02日 18:30