府城の北に当り行程2里21町。
家数25軒、東西2町56間・南北1町51間。
四方田畠なり。
東22町40間余
竹屋・
田中両村の山に界ふ。
西3町46間・南2町6間、共に
河沼郡笈川組浜崎村に界ふ。
北7町3間
竹屋村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り14町余。
また
辰巳(南東)の方2町12間余
金川村の界に至る。その村まで3町50間余。
午未(南~南南西の間)の方1町35間
笈川組水谷地村に界ひ日橋川を限りとす。
戌亥(北西)の方4町41間
下窪村の界に至る。その村まで9町余。
寅(東北東)の方1町57間
田中村の界に至る。その村まで11町50間余。
寅卯(東北東~東の間)の方5町22間
深沢村の界に至る。その村まで9町50間。
山川
日橋川
金川村の方より来り、北に流れ西に回り村南を過ぎまた南に転じ西に折れ、凡5町10間余流れ
浜崎村の境内に入る。
水利
狐堰
駒形堰
金川村の方より来り
深沢村の方に注ぐ。
この堰何れの頃築きしにか知らず。
土崩れ堀形埋み年久しく廃して数村用水に苦しみ
屢旱損に逢いしを、寛政6年(1794年)2万8千人余の人夫を催し再びこの堰を
鑿り大石を破り山を切崩し2里8町余の渠を通し、翌年に至りてその功成れり。これより旱魃の患なし。
神社
熊野宮
祭神 |
熊野宮? |
相殿 |
伊勢宮 |
|
稲荷神 |
|
天神 |
勧請 |
不明 |
村中にあり。
鳥居拝殿あり。北小路大久保播磨仮にこれを司る。
寺院
宗源寺
村南にあり。
曹洞宗海江山と號す。天寧村
天寧寺の末山なり。
文禄中(1593年~1596年)宗源という僧野州より来てこの山を開けりとぞ。
地蔵を本尊とし客殿に安ず。
古蹟
館跡
村の未(南南西)の方にあり。
本丸迹、東西43間・南北42間。
二ノ丸迹、東西50間・南北1町50間計。
加納盛時の孫三橋太郎義通築く。
義通は小荒井組貝沼村及びこの村を領せしが、14代の孫越中盛茂・天正巳丑の乱に葦名義廣に従て黒川に退きければ、6月7日伊達政宗駒形山を下てこの城に拠るという。
今は畠となれども城隍の形存せり。
馬場跡
熊野社の東にあり。
東西1町40間・南北2間半。
また続きに的場跡あり。
共に田圃となり字のみのこれり。
余談。
この地区の北から西に流れ日橋川に合流しているのは大深沢川です。
最終更新:2020年07月01日 21:23