耶麻郡小沼組下川前村

陸奥国 耶麻郡 小沼組 下川前(しもかはまへ)
大日本地誌大系第32巻 57コマ目

この村大谷川のほとり上川前村の下流に住せし(ゆえ)名くという。

府城の北に当り行程6里。
家数14軒、東西1町12間・南北1町42間。
東南は田畠、西北は山に傍ふ。

東1町30間・南1町、共に大塩村の界に至る。その村は東に当り18町30間余。
西8町漆村の山界に至る。その村まで1里7町。
北1町上川前村の界に至る。その村まで6町。

もと村南12町に遅谷新田(おそたにしんでん)という端村あり。今はなし。

端村

小森山新田(こもりやましんでん)

本村の戌亥(北西)の方15町にあり。
家居1軒、山間に住す。

山川

三森山

村の戌亥(北西)の方29町にあり。
高100丈余。
この山より丑寅(北東)の方に数峯聳え、北に(めぐ)り高曽祢山に連なる。
北は小田付組入田付村の山に続き、西は同組関柴村の山に続く。
雑木多し。

大谷川

村東1町30間余にあり。
広2間余。
上川前村の方より来り、南に流るること13町余大塩川に入る。

水利

堤2

一は未申(南西)の方4町にあり。周260間計、谷地堤という。
一はその奥1町計にあり。周220間余、井戸尻堤という。
共に寛政中(1789年~1801年)築く。

神社

山神社

祭神 山神?
相殿 熊野宮
   諏訪神
草創 不明
村の戌亥(北西)の方2町10間余にあり。
鳥居拝殿あり。高柳村山本源之進が司なり。

寺院

来正寺

村の戌亥(北西)の方40間余にあり。
山號を集巖山と称す。浄土宗府下大町融通寺の末山なり。
開基の年月詳ならず。
慶長4年(1599年)僧故白中興す。
本尊観音客殿に安ず。




追記:山神社と天狗岩
大山祇神社(神社)についてとんりすんがりさんより情報頂きました。
村西の森の中にあり、向かわれた時は石段がドクダミ天国と化していたそうです。


また境内にいくつか石祠があり、うち一つは端村の小森山新田から遷されたそうです。
小森山新田村は大谷川を越えた先、北西の森の平端部にあったそうで、17世紀の小沼組絵図では5軒と記されているそうですが、その後衰微し、風土記の記述ではすでに1軒を残すのみとなっており、明治を迎える事なく廃村になったようです。現地には水田跡と思しき段差や墓石が草木にに埋もれて残っているそうです。石祠は明治の末頃に下川前の住民の方が、小森山新田の跡地から背負って運んできたのだそうです。また来正寺には同じ頃に小森山新田から運んできた地蔵尊があるそうです。
またこの地区には天狗岩という大石があり、以下のような伝承が残っているそうす。
下川前の上川前の間にある水田では旧暦の8月15日の午後1時から2時に、田んぼ1枚1枚全ての水面に満月が映るそうで、それを「田毎の月」と言うのだそうですが、それを見に来た天狗が田んぼの一枚一枚に全てに自分の顔が映り慌てて飛び降りた足跡が残っているそうです。



最終更新:2020年07月18日 19:08