耶麻郡慶徳組宮在家村

「耶麻郡慶徳組宮在家村」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

耶麻郡慶徳組宮在家村 - (2020/08/19 (水) 18:18:19) の編集履歴(バックアップ)


陸奥国 耶麻郡 慶徳組 宮在家(みやさいけ)
大日本地誌大系第32巻 127コマ目

府城の西北に当り行程4里31町余。
家数35軒、東西1町12間・南北2町56間。
四方田畠にて西は山に近し。

東4町11間小荒井組小荒井村の界に至る。その村まで15町20間。
西17町14間木曽組州谷沢村の端村一郷の山に界ふ。
南7町23間松野村の界に至る。その村は未申に当り15町30間余。
北4町8間見頃村の界に至る。その村まで10町余。

小名

下在家(しもさいけ)

本村より未申(南西)の方5町にあり。
家数10軒、東西54間・南北1町6間。
四方田畠にて西は山に近し。

小原(こはら)

本村より辰巳(南東)の方2町にあり。
家数6軒、東西40間・南北40間。
四方田畝なり。

端村

牛尾(うしのお)

本村より戌亥(北西)の方2町にあり。
家数2軒、東西23間・南北1町13間。
西は山に傍ひ三方田圃(たんぼ)なり。

山川

濁川

村東2町10間余にあり。
見頃村の方より来り、南に流るること1町50間余小荒井村の界に入る。

神社

腰王神社

祭神 市千魂命(いちちたまのみこと)
鎮座 不明
村西2町10間、山上にあり。
鳥居あり。
(別当は四天王の木像を安置せる(ゆえ)古四王といえり。像は聖徳太子の作という)
この山松杉蓊欝(おううつ)として鶴の翼を張れるに似たり。故に鶴松という。

別当 大重院

本山派の修験なり。先祖詳ならず。
中興圓長より現住直圓まで12世なりという。

寺院

長傳寺

村より戌(西北西)の方にあり。
腰王山と號す。曹洞宗慶徳村慶徳治の末山なり。
天文2年(1533年)長傳という僧開基して慶徳寺5世一峯を請て開山とす。
観音を本尊とし客殿に安ず。

古蹟

界塚(さかひつか)

村北1町40間余、田の中にあり。
高5尺・周9間計。
新宮・加納両荘の界塚なりという。
またこの辺に壇2あり。来由詳ならず。

児塚(ちこつか)

村より午未(南~南南西の間)の方1町余、田畝の中にあり。
高1尺余・周3間。来由を詳にせず。この塚を(こぼ)ては祟りありといい伝う。


  • Google Map
    • 新町地区(宮在家)
    • 宮在家地区(下在家)
    • 中原地区(小原)
    • 丑ノ尾地区(牛尾)
    • 古四王神社(腰王神社)
    • 古四王神社奥の院(腰王神社。山上)
    • 大聖歓喜天
      • 位置的に旧長傳寺かと思いうのですが崇めている仏様が観音様じゃなくなっています。歓喜天とは頭が象の仏様(ガネーシャ)の事です。
    • 界塚 - 見当たらず。
      • 村近くに台ノ下という地名があり、この地の北にある水路が境界となっているようです。水路の南側が慶徳町、北側が上三宮町。
    • 児塚 - 見当たらず。


余談:市千魂命について。
ちょっと曖昧なのですが…。
先代旧事本紀によればこの神は中臣氏の遠祖で武御雷神(たけみかづちのかみ)と同じく雷の神様だそうです。
※国立国会図書館『先代旧事本記 巻一』(8コマ目)より

津速魂命(つはやむすひのみこと) - 神世七代の7代目として誕生(伊弉諾・伊弉冉とは別)
 ┗市千魂命
  ┗興台産霊命(こごとむすびのみこと)(または武御雷神とも)
   ┗天児屋根命(あめのこやねのみこと)
    ┗天押雲命(あめのおしくものみこと)
     ┗子孫に中臣阿麻毘舎卿や中臣御食子、藤原鎌足がいる

また古四天神社の本社は秋田にあり、四道将軍大彦命(おおひこのみこと)の蝦夷平定後に創建されたとあります。祭神は大彦命と武御雷神で、会津風土記に記載されている市千魂命では無いようですが繋がりが見えます。
なお、古四天神社と関連する神社は東北地方の各地にあり、漢字は違えども「コシオウ」と発音する名前が付けられています。面白そうな内容ですが本記事ではここまでとします。興味のある方はWikipediaあたりを見てみてください。