耶麻郡慶徳組見頃村

陸奥国 耶麻郡 慶徳組 見頃(みころ)
大日本地誌大系第32巻 127コマ目

府城の西北に当り行程5里5町。
家数50軒、東西1町55間・南北4町30間。
西は山林に傍ひ三方田畠なり。

東11町42間小荒井組小荒井村の界に至る。その村まで27町40間余。
西10町20間五目組五分一村の山に界ふ。
南6町宮在家村の界に至る。その村は巳午(南南東~南の間)に当り10町余。
北48間岩沢村の界に至る。その村まで1町30間余。
また
丑寅(北東)の方5町6間小荒井組下三宮村の界に至る。その村まで9町20間余。

また東3町20間に1区あり。反田(そりた)という。家数4軒、東西42間・南北2町58間。寛政9年(1797年)本村より出て家居を開く。

端村

新屋敷(しんやしき)

本村の辰巳(南東)の方6町10間余にあり。
家数14軒、東西1町36間・南北1町30間。
四方田畝にて東は濁川に近し。

新田(しんでん)

本村の東7町50間余にあり。
家数4軒、東西48間・南北28間。
四方田畠なり。

山川

濁川

村東9町にあり。
下三宮村の境内より来り、3町40間余南に流れ宮在家村の界に入る。

神社

伊佐須美神社

祭神 伊弉諾尊・伊弉冉尊?
相殿 天王神
   於幾布志神
鎮座 不明
村より未申(南西)の方4町余、山頂にあり。
鳥居拝殿あり。材木町鈴木大和が司なり。

寺院

西光寺

村中にあり。
元和2年(1616年)宗立という浄土真宗の僧開基す。
初は府下馬場町福證寺の末寺なりしが、後西本願寺直末となる。
本尊弥陀客殿に安ず。

長泉寺

村より戌(西北西)の方50間にあり。
天王山と號す。曹洞宗会津郡南青木組天寧村天寧寺の末山なり。
初、大永2年(1522年)この村の地頭佐瀬安石という者、(今寺南の墓地に五輪1基あり。村民伝えて、佐瀬河内というものの墓といえども若くは安石が墳墓にや。また佐瀬氏佐州常平と彫付し無方塔あり。安石が子孫を埋めしにや。共に後人の建しものと見ゆ)1寺を建立して法相の徒林光を請して住せしめ田地1町を寄付して寺領とす。その後中絶して堂宇もまた廃頽(はいたい)せり。
寛文8年(1668年)春怒という僧再興して天寧寺14世怒山を請て開山とし今の寺號に改む(旧名を伝えず)。
本尊釈迦客殿に安ず。



余談。
於幾布志神は「おきふしのかみ」と読むのでしょうか。
何の神様でしょう?
最終更新:2020年08月19日 18:58