耶麻郡五目組岩尾村

陸奥国 耶麻郡 五目組 岩尾(いはお)
大日本地誌大系第32巻 120コマ目

府城の西北に当り行程6里7町。
家数28軒、東西2町15間、南北3町5間。
四方田畠にて西は山に近し。

東3町4間五目村の界に至る。その村まで5町余。
西2町14件・南3町4間、共に半在家村の界に至る。その村は南に当り6町10間余。
北8町10間中河原村の界に至る。その村まで16町50間。
また
亥(北北西)の方8町50間山岩尾村の界に至る。その村まで1里3町10間。

また村北1町に家数4軒あり。
東西1町14間、南北1町24間、幡立(はつたて)という。

金堀小屋

銀山(きんさん)

本村より戌亥(北西)の方11町にあり。
小屋3軒、山中にあり。
このほとりの山中に銀拡あり。寛永中(1624年~1645年)より明暦中(1655年~1658年)まで少しく出ければ、その事を業とし家居を開きしが、その後は田畠を耕し今に残れり。

山川

濁川

村東4町20間余にあり。
中河原村の界より来り、14町40間余南に流れ半在家村の境内に入る。

清水2

共に村中にあり。
周5間。

関梁

村東4町20間余、五目村にゆく道にあり。
濁川に架す。
長6間・幅4尺。

水利

半在家堰

中河原村の方より来り田地を潤し半在家村の方に注ぐ。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。

古蹟

館跡

村中にあり。
東西2町10間・南北2町。
何の頃にか佐原氏の人築き住せしという(また義連ここに住せしともいう)。
この館の中に古塚数多あり。佐原氏の墳墓といえども詳ならず。

寺蹟

もと村中に成田山圓満寺と寺ありしという。
何の頃廃せしにか詳ならず。
今畑となる。



最終更新:2020年08月15日 17:04