耶麻郡五目組山岩尾村

陸奥国 耶麻郡 五目組 山岩尾(やまいはお)
大日本地誌大系第32巻 119コマ目

この村山谷の間に1区をなし幽僻の地なり。
東に山(めぐ)ってその半腹に家居を開き、西は漸々に卑く木曽組板沢村に対し、その間谷ふかく五枚沢川流れその辺に田圃(たんぼ)あり。
眺望(すこぶ)る佳なり。

府城の西北に当り行程7里3町。
家数14軒、東西1町余、南北2町56間。
また南30間に家数2軒あり。

東13町30間中河原村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り23町30間。
西15町26間板沢村の界に至る。その村まで18町20間余。
南14町木曽組背戸尻村の界に至る。その村は申(西南西)に当り24町。
北3里余米沢領出羽国置賜郡に界ひ赤崩山の峯を限りとす。
また
巳(南南東)の方5町40間岩尾村の界に至る。その村まで1里3町10間。

小名

五枚沢(こまいさは)

本村の北1里7町40間にあり。
家数7軒、東西1町・南北3町。
五枚沢川のほとり山間に住す。
すこしく田圃あれども専ら木地を挽て産業とす。

端村

与内畠(よないはた)

本村より申(西南西)の方6町20間余にあり。
家数9軒、東西1町12間・南北2町。
五枚沢川の東西に散居す。

塩野沢(しほのさは)

本村より12町余巳(南南東)の方にあり。
家数4軒、東西1町・南北2町。
山中に住す。

山川

二倉山(にのくらやま)

村北1里余にあり。
登ること18町余。
この山の奥2里余に仙翁高森山あり。東は五目村に属す。
ブナ・楢・雑木多し。

栗森山(くりもりやま)(黒森山/一倉山)

黒森山とも一倉山ともいう。
村の戌亥(北西)の方1里余にあり。
(本郡の条下に詳なり)

五枚沢川(こまいさはかわ)

村西山下にあり。
水源を村北2里余米沢領の界赤崩山の麓に発し、渓水漸々に合し山間を過ぎること1里18町計南に流れて端村与内畠の村中を過ぎ板沢村背戸尻村の方に注ぐ。

大平沼

村より丑(北北東)の方1里10町にあり。
五目村の条下に詳なり)

関梁

橋5

一は村北12町30間にあり。
一はここより北2町30間にあり。
一はここより北18町にあり。
一はここより北3町にあり。
共に長5間計、小名五枚沢の通路なり。
一は端村与内畠の村中にあり。長15間。
共に五枚沢川に架す土橋なり。

神社

総社神社

祭神
相殿 伊勢宮
   熊野宮
   山神
   総社
鎮座 不明
村より寅(東北東)の方1町にあり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。




追記
とんりすんがりさんより情報を頂きました。

塩野沢について
塩ノ沢の地名は山菜のシオデが群生していた事に由来するそうです。
昭和までおそらく風土記の記述にある4軒がそのまま居住していたのですが、平成に入るまでに2軒に減り、平成10年頃に最後の1軒が転出して無住となってしまいました。
この界隈は塩野沢峠(熊坂峠)とも呼ばれ五目、山岩尾、与内畑、背戸尻の各集落に分岐する交通の要衝で、旧山岩尾村の各集落でも一番平地に近かったにもかかわらず、一番最初に廃村となってしまいました。
航空写真から見える建物のうち、道路側の1軒は数年前に雪で潰れてしまい、残る1軒と離れの小屋も崩壊寸前の状態です。
この地点には熊坂地蔵という地蔵尊がお祭されており、五枚沢集落の人が若松の石工に頼んだ地蔵尊をここまでをここまで運んで来たそうですが、急にお地蔵様が重くなりどうにもこうにも動かせなくなってしまったので仕方なくここにお祀りしたという伝説があるそうです。

五枚沢について
五枚沢集落に向かう途中にはもう一か所(この場所)地蔵尊がお祀りされており、山岩尾からも五枚沢からも離れた場所で不思議だったのですが、昔、五枚沢集落の方がこの辺りに小屋掛けして炭を焼いていたそうで、ある年の春先雪崩が起こり、父親の仕事についてきて炭焼き小屋の周りで遊んでいた男の子が、小屋ごと雪に潰されて死んでしまったそうで、その供養のために立てられた地蔵尊との事です。
五枚沢集落は木地集落であると同時に赤崩山越えの旅客相手の小規模な宿場としての性格があったそうで、戦後も山女魚や岩魚の養殖や渓流釣り客相手の民宿業で賑わった時期もあるようですが、今ではそれも衰えてしまい現在住んでいるのは2軒だけになってしまったようです。
最終更新:2020年08月16日 21:03