この村は慶徳村・松野村・新宮村・能力村・綾金村・小荒井組太郎丸村数村の境内にて草菜なりしを、瓜生利右衛門(今の肝煎吉四郎が7代の祖なり)という者元和3年(1617年)い開発せし新田なり。
府城の西北に当り行程4里23町余。
家数7軒、東西4町・南北20間。
四方田畠なり。東は濁川に傍ふ。
東1町51間
綾金村の界に至る。その村まで8町50間余。
西1町・北1町余、共に
松野村の界に至る。その村は西に当り12町余。
南1町30間余
慶徳村の界に至る。その村まで9町20間。
端村
重壇新田
本村の南、慶徳村の境内を隔て16町にあり。
家数4軒(外に慶徳村の民居2軒雑居す)、東西1町45間・南北45間。
東は濁川に傍ひ三方田畠なり。
東は
能力村に接し西南は
新宮村に交わり北は
慶徳村に隣り、
田圃相
雑わり界域
丈量すべからず。
山川
濁川
村東30間計にあり。
北より南に流る。他村の地と相接して町数しれず。
最終更新:2020年08月20日 20:20