耶麻郡慶徳組真木村

陸奥国 耶麻郡 慶徳組 真木(まき)
大日本地誌大系第32巻 137コマ目

府城の西北に当り行程5里14町余。
家数27軒、東西1町・南北1町5間。
三面に日橋川(めぐ)り北は平地に続き四方に田圃(たんぼ)あり。

東1町1間・南1町40間、共に河沼郡青津組津尻村に界ひ日橋川を限りとす。
西3町25間坂下組長井村に界ひ日橋川を限りとす。
北8町20間山崎村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り21町余。

山川

日橋川

山崎村の方より来り、村東に至り南に転じ村の東南西3面を廻り戌亥(北西)の方に流れ、直に西に転じ北に折れ丑寅(北東)の方に逆流し新宮村の境内に注ぐ。
この川曲折数回にして町数しれず。

原野

小田高原(こたかうはら)

村北1町50間余にあり。
東西7町30間余・南北5町。本村及び山崎村・田原村・新宮村入逢の秣場なり。
また西に続き東西10町余の原あり。「ほらさき原」という。日橋川の東岸にありて西南北3面に川(めぐ)れり。この地山崎村と入逢なり。

神社

御稷神社

祭神 御稷神?
相殿 幸神
草創 不明
村より戌亥(北西)の方1町10間余にあり。
鳥居拝殿あり。上三宮村高村能登が司なり。

寺院

清源寺

村の戌(西北西)の方1町にあり。
曹洞宗巻尾山と號す。
永正3年(1506年)慶徳村慶徳寺会下の僧清源来り住しその名を以て寺號とす。
慶長中(1596年~1615年)慶徳寺6世高照を請て開山としその末寺となる。
本尊如意輪観音客殿に安ず。



余談。日橋川(阿賀川)の水道について
※阿賀野川河川事務所『阿賀川の治水工事』より
昔から阿賀川は洪水が起こると大きな被害をもたらす川でした。大正時代に治水工事が始まり、この付近では真木地区の南を通っていた水道を津尻から長井へと直で通す工事が行われました。なお長井地区では袋原の北を流れていた水道を舟岡へと直で通す工事が行われました。
そのため風土記の記述と今とでは水道が異なります。
参考:阿賀野川河川事務所
最終更新:2020年08月25日 20:14