府城の西北に当り行程4里6町。
家数26軒、東西26町・南北2町23間。
西は川に傍ひ丑寅(北東)の方南宇内村の端村原につづき東南に田圃あり。
東は村際にて
南宇内村に界ふ。その村は辰(東南東)に当り7町余。
西2町30間・北2町計、共に
耶麻郡慶徳組真木村に界ひ日橋川を限りとす。
南5町
北宇内村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り6町50間余。
山川
日橋川
村北2町計にあり。
南宇内村の境内より西に流し来り、南に折れ西に転じまた北に折れて真木村の西を過ぎ、この村の境内を流るること30町
坂下組長井村の界に入る。
西岸2町計の間に屏風岩とて川に臨たる岩山あり。形の似たるを以て名とす。蒼松その間に聳えて風景やや佳なり。村より屏風岩までは戌亥(北西)に当り16町あり。
水利
堤
村より未(南南西)の方9町20間にあり。
東西24間・南北32間。
寺院
徳源寺
村中にあり。
養國山と號す。曹洞宗、草創の年代詳ならず。旧は真言の道場なり。
文禄元年(1593年)誾永という僧住してより洞家となり、熱塩村示現寺の住侶齢岩を請て開山とし示現寺の末山となる。
観音を本尊とし客殿に安ず。長1尺2寸の古佛なり。
余談。
河川工事により阿賀川の流れが変わりました。
それ以前は西の真木村との間は川で隔てられていましたが、現在は陸地で繋がっています。
参考:
阿賀野川の治水事業(阿賀野川河川事務所)
最終更新:2020年08月22日 21:13