耶麻郡木曽組寺内村

陸奥国 耶麻郡 木曽組 寺内(てらうち)
大日本地誌大系第32巻 140コマ目

昔大同寺という巨刹(きょさつ)あり。その院内にありし(ゆえ)名くという。

府城の西北に当り行程6里20町。
家数40軒、東西1町10間・南北5町30間。
東北は山に倚り西南は田圃(たんぼ)なり。

東4町小布瀬原村の山界に至る。その村は辰(東南東)に当り7町50間余。
西1町下村に隣りその村際を界とす。
南9町45間船岡村の界に至る。その村まで12町余。
北11町30間河隅村の界に至る。その村まで16町30間。

端村

河隅(かはすみ)

本村の北5町にあり。
家数10軒、東西2町・南北20間。
四方に田圃あり。

石田坂(いしたさか)

本村の南9町余にあり。
家数3軒、東西10間・南北20間。
山麓に住し西は田圃なり。

山川

高館山(たかたてやま)

村北1町余にあり。
天正中(1573年~1593年)伊達氏会津を襲いしとき近村の農民この山に楯籠りし故に名くという。

和尚山

村より辰巳(南東)に方小布瀬原村の界にあり(小布瀬原村の条下を併せ見るべし)。

一戸川

村西1町にあり。
河隅村の方より来り、南に流るること6町50間木曽村の界に入る。

関梁

大橋

村より未(南南西)の方3町、木曽村の通路一戸川に架す。
長14間・幅9間、勾欄あり。

神社

磐椅神社

祭神 磐椅神?
相殿 天王神
   総社
鎮座 不明
村中にあり。
神像2軀あり。男體は圭冠(はしはこうぶり)袍袴(ほうこ)、長1尺1寸8分。女體は垂髪(すいはつ)杉袴、長8寸。共に腰下朽損(きゅうそん)し極めて古物なり。
鳥居あり。上三宮村高村能登これを司る。

寺院

泉福寺

村東1町にあり。
浄土宗壽栄山と號す。小田付組入田付村光徳寺の末山なり。
弘安6年(1283年)光徳寺の僧空行ここに来り1宇を造営し、行基作の無量壽佛と運慶作の大日の像を安置すという。今は弥陀三尊の銅像を本尊とし客殿に安ず。
また鐘楼あり。鐘径3尺、『天明二年施主當寺二十九世感随』と彫付けあり(天明2年:1782年)。銘あれども煩わしければ略す。

寶物

鏡 1面。長5寸3分・横4寸。形円なり。表に佛像を彫り、裏に『坂上氏僧礼芳大力丸』と彫付けあり。開山空行が所持の物なりといい伝う。

大日堂

村東にあり。
縁起を按ずるに、大同年中(806年~810年)堀内某という者村民等と力を(あわ)せこの所に1寺を建立し、郷名とその時の年号とに取り布瀬山大同寺と號し大日座像(長2尺2寸)・不動立像(長4尺4寸余)・毘沙門の3像を安置すという。
後にこの寺慶徳組新宮村に移りしが、3像はこの所に遺し、堂を建て安置せり。後慶長中(1596年~1615年)の地震に堂宇顛倒(てんとう)し毘沙門の木像を失う。今の堂はその後の修造なり。
修験弥勒院これを司る。

地蔵堂

村中にあり。
造立の年代知らず。旧十王堂なり。今は地蔵を安ず。
村民の持なり。


最終更新:2020年09月03日 20:52