会津郡滝沢組郷原村

陸奥国 会津郡 滝沢組 郷原(がうのはら)
大日本地誌大系第31巻 17コマ目


府城の北に当り行程25町余。
家数18軒、東西1町55間・南北1町53間。
東は山に倚り3方田圃(たんぼ)なり。
村西に二本松街道あり。

東1町滝沢村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り12町30間。
西3町6間北柳原村の界に至る。その村まで4町余。
南は村際にて藤原村に界ふ。その村まで2町20間余。
北5町2間下居合村に隣り、その村際を界とす。
また亥(北北西)の方1町15間上居合村の界に至る。その村まで4町10間余。

山川

坊主山(ばうずやま)

村より寅卯(東北東~東の間)の方10間余にあり。
寛文中(1661年~1673年)肥後守正之この地を択んで葬地を置けり。
元禄4年(1691年)肥後守正容、中峰に高5尺に1尺3寸4面の標石を建つ。
その分如左
自是南至大路五十七間自是北至居合山境十壹間自至多羅幾橋六十壹間自是西至熊藏窪二十五間
右郷原山葬地界限寛文四年甲辰九月晦日先君中将源公始教士民禁火化仍所置之者也元禄四年辛未六月二十八日表之
※原文も参照のこと

水利

日橋堰(につはしせき)

下居合村の方より来り田地を潤し藤原村の方に注ぐ。