会津郡滝沢組下居合村

陸奥国 会津郡 滝沢組 下居合村(しもいあはせ)
大日本地誌大系第31巻 18コマ目

府城の北に当り行程30町。
家数32軒、東西1町32間・南北3町48間。
三方田圃(たんぼ)にて東は山に近し。

村東に二本松街道あり。

東7町35間長原新田村の界に至る。その村まで9町40間余。
西3町48間下柳原村の界ひ渠川を限とす。その村まで7町10間余。
南24間上居合村に隣りその村際を界とす。
北1町48間河沼郡代田組藤倉村の界に至る。その村は戌亥に当り6町40間。
また
丑(北北東)の方4町57間松窪村の界に至る。その村まで6町40間。
巳(南南東)の方村際にて郷原村に界ふ。その村まで5町余。
申(西南西)の方3町40間下柳原村の界に至る。その村まで7町10間余。
戌亥(北西)の方1町20間代田組倉道村の界に至る。その村まで1町30間余。

村北5町計に1里塚あり。

小名

牛畠(うしはた)

本村より寅卯(東北東~東の間)の方松窪長原新田両村の境界を隔て26町50間余山中にあり。
家居1軒。地面、東西20町15間・南北8町52間。東は滝沢村の山に続き、西は松窪村に界ひ、南は牛墓村の山に連なり、北は代田組稲荷原新田村に接す。

山川

葉山(はやま)

村東18町にあり。
高18丈。近隣の諸山より高く頂上より西南の方眺望広し。

吹屋川(ふきやかわ)

村北2町にあり。
長原新田村の境内より来り、西に流るること10町計倉道村の界に入る。
広3間余。

渠川(せせなきかわ)

村西3町40間余にあり。
北柳原村の境内より来り、戌亥(北西)の方に流るること7町倉道村の界に入る。

原野

(まぐさ)

村より丑寅(北東)の方15町にあり。
東西8町・南北2町30間。

関梁

呼橋(よばるはし)

村より丑(北北東)の方5町にあり。
長3間、幅9尺。吹屋川に架す。二本松街道なり。
鬼一法眼が女皆鶴姫、牛若丸の跡を恋ひこの橋の邊りに来り後、影を望んでその名を呼びし(ゆえ)名けしと云い伝う(皆鶴が事は藤倉村の条下を併見るべし)。

水利

日橋堰

松窪村の方より来り田地に灌ぎ郷原村の方に注ぐ。

戸口堰

金堀村の方より来り田地の養水となり長原新田村の方に注ぐ。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 稲荷神 9座
   婆神
   若宮八幡
鎮座 不明
村東船森山(ふなもりやま)という丘の上にあり。
鳥居拝殿あり。郭内諏訪神社の神職佐久上総が司なり。

麓山神社

祭神 麓山祇神(はやまつみのかみ)
鎮座 不明
村東18町、葉山の頂にあり。
鳥居拝殿あり。村民の持なり。

寺院

秀安寺

村東にあり。
開基の年月詳ならず。本郡南青木組天寧村天寧寺の末山曹洞宗なり。
旧は密侶或は洞家の僧居しという。
慶長10年(1605年)曹洞の徒獄應という僧住してより松雄山秀安寺と號せしとぞ。
本尊正観音客殿に安ず。

地蔵堂

客殿の南にあり。
旧村中にありしに天和2年(1682年)の頃この寺に移すという

和徳寺

村中にあり。
西本願寺の末寺浄土真宗なり。
天正18年(1590年)宗俊という僧開基す。
本尊弥陀客殿に安ず。

太子堂

境内にあり。


最終更新:2020年06月29日 18:18