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陸奥国 若松 郭外 上町 一之町
大日本地誌大系第30巻 135コマ目
会津若松史 第2巻より

馬場町より東の方甲賀町に至るを上一之町とし、また馬場町より西の方大町に至るを下一之町とす。
二之町三之町等、みなこれに同じ共に東西の道なり。
上は長1町47間・幅4間、家数22軒。
下は長2町31間・幅4間、家数46軒。

旧家

倉田藏之丞

この町の検断なり。
その先は近江源氏にて本国甲賀郡に住せり。
室町将軍の時軍功によりて倉田氏を賜いしより世々倉田を称すいう。
文禄中(1593年~1596年)蒲生氏城郭修理の時その子孫新右衛門爲實というものこの地に来り、氏郷の命を奉し三奉行に与力し町割を定む。
因て大町札辻にて宅地を与え町年寄りとせり(今の検断なり)。
爲實より今の蔵之丞爲興に至て凡12世なりという。

古文書一通あり。左に載す。
  うけとり申ゑひらくせん之事
一 四拾壹貫三百貳文はかねかいせん残ゑいらく
一 七貫貳百四十文はかりのかけりんのゑいらく
 右うけ取如件
  慶長十九年
    八月廿二日    つほね
      くらたしんへもんとの参る
この外寛永中(1624年~1645年)加藤家より与えし文書数通を蔵む。


外部リンク等

最終更新:2026年01月10日 22:25