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郭外 > 南町 > 堅町

陸奥国 若松 郭外 南町 (たつ)
大日本地誌大系第30巻 174コマ目
※国立公文書館デジタルアーカイブ『新編会津風土記21』より

黒川の南にて東西の通なり。
東は年貢町より、西は漆原堅町通まで。
長6町22間・幅4間余、家数144軒。

東の方に静松寺通、西の方に明栄寺前通とて2条の小路あり。
共に南は組町に通し北は黒川の南岸に出つ。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
相殿 伊勢宮。地主神なり
八幡宮
勧請 不明
この町の北頬にあり。鳥居あり。

神職 弓田山城

家伝を按ずるに、その先を飯篠山城守直家といい刀槍の術に長せり。後伊賀守長威斎と改む。神道流の始祖なり。
直家より6世七郎太夫盛枝という者、千世より伝るところ伊勢八幡の神體(しんたい)を奉し廻国の序この地に来る。
葦名盛詮、神體を勧請し(今の相殿の神なりという)盛枝を神職とせり。
後讃岐守盛貞という者(ゆえ)有て弓田と称す。
今の山城長郡は盛貞より7世の孫にて刀槍の秘訣及び伝書等家に伝う。

寺院

静松寺

静松寺通の西頬にあり。
臨済宗南青木組慶山村大龍寺の末寺なり。山號を長壽山という。
もと羽州最上郡にあり。
寛永20年(1643年)当寺の始祖西堂という僧、壇越(だんおつ)の縁を慕いてこの地に来り今の道場を開けり。
本尊観音、客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。

明栄寺

明栄寺前通の西頬にあり。
浄土真宗京師東本願寺の末寺なり。
そのかみ、鈍的という僧この地に庵を結で住せしが、文禄3年(1594年)宗観という僧越後国より来りこの庵を修理しその後廃壊せしを、寛永中(1624年~1645年)胸察という比丘再興せり。
本尊弥陀、客殿に安ず。

福泉寺

この町の末南頬にあり。
浄土真宗西本願寺の末山なり。
慶長5年(1600年)法善という沙門草創せり。
本尊弥陀、客殿に安ず。

林昌寺

この町の末北頬にあり。
栄長山と號す。常慶寺の末山曹洞宗なり。
慶長3年(1598年)安作という僧、常慶寺の開山慶岩に従い越後国よりここに来り草庵を結んで住せり。これを当寺の祖とす。
後、松朔・尊説という2人の僧相続いて住す。
本尊釈迦、客殿に安ず。



参照・補足


外部リンク等


余談

幕末会津若松城下地図」や「会津若松郭内外之絵図」では浄松寺となっているが、
安政年間若松城下絵図」や「若松市明細図」によると静松寺が正しい。
最終更新:2026年01月28日 23:36
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