会津郡南青木組慶山村

陸奥国 会津郡 南青木組 慶山(けいざん)
大日本地誌大系第31巻 61コマ目

この村旧慶山寺村という。寛文中(1661年~1673年)寺の字を省けり。

府城の東北に当り行程19町。
家数25軒、東西52間・南北40間。
東は山に倚り三方田圃(たんぼ)なり。

東19町滝沢村の山に界ふ。
西7町5間深東黒川千石町分の地に界ふ。
南3町40間天寧村の界に至る。その村まで7町30間。
北5町5間滝沢村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り9町40間余。

端村

水尾

本村の南1町30間にあり。
家数5軒、東西24間・南北44間。
東は山に倚り西は田圃(たんぼ)なり。

土産

松蕈

村東の山中より出づ。
香気深く味最美なり。
封内の諸山に多く産すれどもここ産にしくものなし。
また雚菌を産す。

黄土

村東の山より出ず。
能く火に堪え、家屋倉廩をぬるによし。俗に慶山土という。
この邊の山多くは黄土なり。

水利

戸口堰

滝沢組牛墓村の方より来り、田地を潤し千石町分の地に注ぐ。


神社

愛宕神社

祭神 愛宕神?
草創 不明
端村水尾の東山の半腹にあり。
天正18年(1590年)大崎一揆の時蒲生氏郷彼地に発向ありしに、その臣町野左近某当社の別当金蔵院玄江をして郡の勝利を祈らしめ、凱旋の後氏郷30間四方の地を寄付せり。
慶長13年(1608年)秀行再び修理を加え、加藤明成の時また修補ありしという。
祭禮6月23、24日なり。

石鳥居

両柱の間8尺。
山麓より本社まで石階ありて漸々に登る。
中程にこの鳥居あり。

二王門

石鳥居より東に登こと1町余にあり。
6間に2間。この門を入て左に制札あり。

本社

3間四面西向

末社 摩利支天神社

本社の北にあり。
水尾より移せり。

末社 太郎坊神社

本社の南にあり。
同上。

別当 金蔵院

本山派の修験なり。
府下愛宕町に住せり。
氏郷の時賜はりし宅地なりとぞ。
佳景(かけい)を按ずるにその遠祖を小高治郎兵衛尉盛通と称し、修験となり金蔵院秀栄と號す。
現住敬林まで16世なり。

伊勢宮

祭神 伊勢宮?
相殿 稲荷神 3座
   山神 3座
   吉神
   伊勢宮 4座
鎮座 不明
水尾の東1町計山腰にあり。
旧天寧村の境内にあり。享和3年(1803年)ここに移せり。

寺院

大龍寺

村より寅(東北東)の方1町余山麓にあり。
臨済宗寶雲山と號す。京師妙心寺の末寺なり。
寛永20年(1643年)肥後守正之会津に封せられし時羽州山形より機外という僧従い来りしが、この頃ここにい慶山寺(慶あるいは桂に作る)とて天寧寺の末寺ありて無住なりければ機外をしてここに住せしめ後に今の名に改めき。

客殿

8間半に6間半、西向。

稲荷神社

境内にあり。
鳥居拝殿あり。

薬師堂

端村水尾の東にあり。
相伝う。大同の頃(806年~810年)徳一が草創なりと。
薬師1尺3寸6分。
府下博労町自在院これを司る。