府城の西南に当り行程19里21町。
家数6軒。東西20間・南北1町30間、山間に住し西に湯岐川あり。
東18町
戸中村の山界に至る。その村は寅(東北東)に当り25町。
西30間
貝原村に界ひ湯岐川を限りとす。その村は戌(西北西)に当り3町20間。
南3町
湯岐村の界に至る。その村まで8町。
北4町40間
押戸村の界に至る。その村まで8町。
山川
湯岐川
村西30間にあり。
湯岐村の境内より来り、北に流るること7町、
押戸村の界に入る。
神社
白山神社
村の丑寅(北東)の方3町にあり。
鳥居あり。
木賊村星安藝が司なり。
外部リンク等
伝承
(館岩村史より)
ここに光る如来像の伝説があるが、天台宗の寺院を建立したのが文永十一年(1274)三月とは鎌倉時代といっても頼朝が征夷大将軍になった建久三年(1192)から八十二年経ているに過ぎない。伝説であるが、舘岩村の開発の初期を物語っているようである。
下角生の豪族伝説なども古いようであるが、白山神社の祭神石像を加賀の国より負ってきたという伝承は、シラガミ信仰の朝鮮半島を経て、加賀のシラヤマ、新潟の越の国の伝承と共に、関東文化だけでなく、日本海岸方面からの、越の文化伝承を考える一資料にはなるまいか。関東方面からの文化伝承を強く考えているので、一応念入りに記載してみる。
八人塚・行人塚などの伝承もあるが、舘岩村としての古く開発された一地域であったろう。
古地図
※地理院地図(大正元年測図/昭和8年要部修正測図)
最終更新:2025年08月28日 19:10