会津郡古町組大原村

陸奥国 会津郡 古町組 大原(おほはら)
大日本地誌大系第31巻 128コマ目

府城の西南に当り行程21里6町。
家数10軒、東西53間・南北1町10間、山間に住し西に檜枝岐川あり。

東18町計耻風村の山に界ふ。
西30町余・南5町、共に小立岩村の山界に至る。その村は申酉(西南西~西の間)に当り7町30間余。
北3町落合村の山界に至る。その村は丑寅(北東)に当り18町30間余。

山川

岩穴2

一は村西20町余にあり。
横に深く金坑の如し、因て横穴と名く。
口の径9尺余。
下ること26丈にして10畳敷計の平あり。その中に6尺四方程の池あり。深測るべからず。傍の岩間より水出て池中に(そそ)ぐ。また穴の入口の前に小岩あり。面平にして几案(きあん)の如く形状甚奇(じんき)なり。土人膳柵と唱ふ。

一は横穴の北7町計岩間にあり。
口の径7尺余。
深知るべからず。堅穴と称す。旱歳に雨を祇る処なり。
昔いつの頃にか雨乞の時徳右衛門いう農民あやまつてこの穴に落ければ、徳右衛門が弟次郎助と云う者を竹籠に盛り件の穴にさげしに、縄を下ろすこと33尋(約50m)、それよりさきは(せま)くして入ることを得ず。因て徳右衛門が名を呼しに何者にか徳右衛門は肉と骨と皆(すで)になしといひしとぞ。
今も(いた)き旱魃の年には大木を伐来て穴の口に塞げば必ず雨降れり。されどその木(いず)くにか失て一夜のうちにもとの如くなると云う。

檜枝岐川

俗に内川という。
村西にあり。
小立岩村の境内より来り、北に流ること10町、落合村の界に入る。

関梁

村北2町40間余、府下の通路檜枝岐川に架す。
長16間。
丸木橋なり。

神社

日光神社

祭神 日光神?
鎮座 不明
村の辰巳(南東)の方40間にあり。
鳥居あり。木賊村星安藝が司なり。

鹿島神社

祭神 鹿島神?
創建 不明
村東1町10間にあり。
鳥居あり。落合村金剛院司る。

古蹟

館跡。

村南2町計にあり。
今は菜圃(さいほ)となりその形を知らず。
何の頃にか大原土佐某と云う者住せしという。


外部リンク等


大原(おおはら)の岩穴

(南会津郡案内誌より)
大字大原の西二十町計り、向山の中腹に白岩あり。高十二丈幅廿五軒、平面にして凡案の如し。里人呼んで膳棚(ぜんだな)と云ふ。棚口高一丈二尺、幅七間奥行二間余なり。その傍に「横穴」ありて鑛坑の如し。寒風絶えず吹出づるを以てまた風穴と称す。口径九尺、下ること廿六丈にして十畳敷計りの平処あり。その中央に六尺四方の小池ありて深さ測る可らず。その岩間より滾々として流出するの水是に濺ぐ。この横穴を距る三十間余の峯の岩に「堅岩」と称する口径七尺の穴あり。その深幾何なるを知らず。昔時雨乞の時、徳右衛門という者この穴に落ちければ、その弟次郎助なる者を竹籠(たけかご)()れて()り下げしも三十三尋にしてなおその先をしらざりきとぞ。
最終更新:2025年08月29日 22:03