府城の西南に当り行程21里6町。
家数10軒、東西53間・南北1町10間、山間に住し西に檜枝岐川あり。
東18町計
耻風村の山に界ふ。
西30町余・南5町、共に
小立岩村の山界に至る。その村は申酉(西南西~西の間)に当り7町30間余。
北3町
落合村の山界に至る。その村は丑寅(北東)に当り18町30間余。
山川
岩穴2
一は村西20町余にあり。
横に深く金坑の如し、因て横穴と名く。
口の径9尺余。
下ること26丈にして10畳敷計の平あり。その中に6尺四方程の池あり。深測るべからず。傍の岩間より水出て池中に濺ぐ。また穴の入口の前に小岩あり。面平にして几案の如く形状甚奇なり。土人膳柵と唱ふ。
一は横穴の北7町計岩間にあり。
口の径7尺余。
深知るべからず。堅穴と称す。旱歳に雨を祇る処なり。
昔いつの頃にか雨乞の時徳右衛門いう農民あやまつてこの穴に落ければ、徳右衛門が弟次郎助と云う者を竹籠に盛り件の穴にさげしに、縄を下ろすこと33尋(約50m)、それよりさきは窄くして入ることを得ず。因て徳右衛門が名を呼しに何者にか徳右衛門は肉と骨と皆已になしといひしとぞ。
今も甚き旱魃の年には大木を伐来て穴の口に塞げば必ず雨降れり。されどその木何くにか失て一夜のうちにもとの如くなると云う。
檜枝岐川
俗に内川という。
村西にあり。
小立岩村の境内より来り、北に流ること10町、
落合村の界に入る。
関梁
橋
村北2町40間余、府下の通路檜枝岐川に架す。
長16間。
丸木橋なり。
神社
日光神社
村の辰巳(南東)の方40間にあり。
鳥居あり。
木賊村星安藝が司なり。
鹿島神社
村東1町10間にあり。
鳥居あり。落合村金剛院司る。
古蹟
館跡。
村南2町計にあり。
今は菜圃となりその形を知らず。
何の頃にか大原土佐某と云う者住せしという。
外部リンク等
大原の岩穴
(南会津郡案内誌より)
大字大原の西二十町計り、向山の中腹に白岩あり。高十二丈幅廿五軒、平面にして凡案の如し。里人呼んで膳棚と云ふ。棚口高一丈二尺、幅七間奥行二間余なり。その傍に「横穴」ありて鑛坑の如し。寒風絶えず吹出づるを以てまた風穴と称す。口径九尺、下ること廿六丈にして十畳敷計りの平処あり。その中央に六尺四方の小池ありて深さ測る可らず。その岩間より滾々として流出するの水是に濺ぐ。この横穴を距る三十間余の峯の岩に「堅岩」と称する口径七尺の穴あり。その深幾何なるを知らず。昔時雨乞の時、徳右衛門という者この穴に落ちければ、その弟次郎助なる者を竹籠に容れて釣り下げしも三十三尋にしてなおその先をしらざりきとぞ。
最終更新:2025年08月29日 22:03