村の辰巳(南東)の方にて檜枝岐川と立岩川と合する故村名とす。
もとここより東1町今の檜枝岐川の水道にあり。寛保2年(1742年)水難を避て今の地に移れり。
府城の西南に当り行程20里17町余。
家数18軒、東西30間・南北50間。
山間に住し東に檜枝岐川あり。
東1町
浜野村に界ひ檜枝岐川を限りとす。その村は寅卯(東北東~東の間)に当り17町余。
西15町36間
大原村の山界に至る。その村は未申(南西)に当り18町30間余。
南3町18間
朴木村の山界に至る。その村は巳午(南南東~南の間)に当り7町30間余。
北1里18町計
宮沢村の山に界ふ。
山川
檜枝岐川
俗に
内川という。
村東1町にあり。
大原村の境内より来り、村の辰巳(南東)の方にて立岩川来り注ぎ(これより下流を俗に伊南川という)、丑寅(北東)の方に流れ
浜野村の界に入る。
境内を流るること19町余。
立岩川
朴木村の境内より来り、北に流るること1町、檜枝岐川に入る。
広20間。
深瀬沢
村西13町50間余にあり。
源は境内の山中より出て、東に流るること1里18町、檜枝岐川に入る。
広5間。
関梁
橋2
一は村の未(南南西)の方1町50間、檜枝岐川に架す。
長20間立岩郷に通る道なり。
一は村西13町50間余、府下の通路深瀬沢に架す。
長7間。
共に丸木橋なり。
神社
天満宮
村西1町10間にあり。
鳥居あり。修験金剛院司なり。
山神社
境内にあり。
鳥居あり。
日光神社
村の戌亥(北西)の方1町30間にあり。
鳥居あり。木賊村星安藝これを司る。
旧家
長次右衛門
この村の農民なり。家系を詳にせず。
先祖は河原田盛次が祏筆を勤めし菅家上野介某という者なりとぞ。今なお葦名氏より盛次に与へし書簡(古町村の条下に出す)を持ち伝う。
- 寛保二年江戸洪水(Wikipedia)
- 寛保2年(1742年)7月28日に、台風の影響と思われる暴風雨が日本を襲ったそうです。
- Google Map
余談
昔この地に金剛院という修験の道場があったようですが、現在どこにあるかも不明ですし会津風土記にもどこにあるのか載っていません。ただ、南会津町発行の伊南村史に「伊南村の修験 (3)金剛院」という記載があり、何らか情報が記載されているものと思われます。
最終更新:2020年03月31日 21:06