会津郡和泉田組和泉田村

陸奥国 会津郡 和泉田組 和泉田(いつみた)
大日本地誌大系第31巻 130コマ目

この村もと泉田に作る。寛文中(1661年~1673年)今の名に改めき。

府城の西南に当り行程19里13町。
家数89軒、東西13町・南北28町。
北は山に倚り三方田圃(たんぼ)にて北は檜枝岐川に近し。
村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。

東4町下山村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り6町。
西6町塩岐村の山に界ふ。
南8町古町組大橋村の山に界ふ。
北8町梁取村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り23町。
また辰巳(南東)の奉21町18間小野島村の界に至る。その村まで26町10間。
戌亥の方19町8間二間在家村の界に至る。その村まで28町余。

端村

乙沢(おとさは)

本村の西4町30間にあり。
家数19軒、東西3町24間・南北1町14間。
南は山に倚り三方田圃にて北は檜枝岐川に近し。

山川

龍目山(たつめやま)

村より未(南南西)の方10間にあり。
頂まで20間。雑木多し。

檜枝岐川(ひのえまたかわ)(伊南川)

俗に伊南川と云う。下同。
村の丑寅(北東)の方3町にあり。
小野島村の境内より来り、西にに流ること1里8町二間在家村の界に入る。
広50間。

富沢(とみさわ)

村より辰巳の方14町にあり。
水源2あり。
一は村より南の方大畑山(おほはたやま)という所より発し、一は村より西の方高山(たかやま)という所より流出づ。
2水合し1里18町、北に流れ檜枝岐川に注ぐ。
広7間。
(やまべ)杜父魚(かじか)を産す。

関梁

村東14町富沢の渓流に架す。
長5間。
丸太橋にして隣村の通路なり。

水利

稲場堰(いなはせき)

小野島村の方より来り数派となし田地に灌ぐ。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
相殿 若宮八幡
鎮座 不明
村の辰巳(南東)の方1町にあり。
鳥居あり。界村渡部信濃が司なり。

熊野宮

祭神 熊野神?
相殿 稲荷神
勧請 不明
村北3町にあり。
鳥居あり。渡部信濃これを司る。

天王神社

祭神 素戔嗚尊
相殿 石神
   鬼渡神
   星宮
   若宮八幡 2座
   皇宮
   御霊神
鎮座 不明
村の辰巳(南東)の方3町にあり。
鳥居あり。渡部信濃が司なり。

石神社

祭神 伝・素戔嗚尊
創設 不明
村中にあり。
長8寸5分の石を神體(しんたい)とす。
石鳥居あり。村民の持なり。

寺院

大泉寺

村中にあり。
曹洞宗龍谷山と號す。黒谷組下荒井村興巖寺の末山なり。
開基の年代詳ならず。
昔は天台宗にて大勝寺を號す。明暦中(1655年~1658年)洞家となり今の名に改めしと云う。
本尊釈迦客殿に安ず。

山神社

客殿の南にあり。

古蹟

館跡

村の未申(南西)の方4町にあり。
河原崎館と云う。
東西1町39間・南北48間。
河原田盛次が郎等五十嵐和泉某と云う者住せしという。
天正18年(1590年)長沼盛秀、伊達氏の臣屋代勘解由兵衛・梅津藤兵衛と共にこの館に攻来る。時に盛次は郎等の富澤藤助・宮床兵庫という者をそへ(わずか)50騎計を属して入れ置しが、手しげき軍して寄手これかために多く討れ大将勘解由兵衛・藤兵衛も討死す。されども分内(ぶんない)広して寡勢(かぜい)なり。寄手は多勢気を励まし攻立れば応援に機を失ひ御片残すくなに打なされ、大将富澤も戦死し兵庫と和泉のみが遺りしが、2人相共に謀て敵を欺き辛うじて盛次が久川城に帰りしという。