府城の北に当り行程23町。
家数31軒、東西2町4間・南北1町48間、四方田圃なり。
東3町30間
滝沢組下柳原村の界に至る。その村まで8町50間余。
西1町1間
中明村の界に至る。その村は未申(南西)に当り7町20間余。
南2町46間
上荒久田村の界に至る。その村は巳(南南東)に当り7町30間余。
北4町24間
中前田村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り7町30間余。
また
戌(西北西)の方5町8間
沼木村の界に至る。その村まで5町40間余。
端村
新田
本村の東50間にあり。
家数5軒、東西22間・南北43間、四方田圃なり。
水利
黒川堰
中明堰
寺院
寶蔵院
村西にあり。
真言宗醫王山と號す。
博労町自在院の末寺なり。
享禄4年(1531年)尊勝という僧草創せり。
本尊大日客殿に安ず。
薬師堂
客殿の東にあり。
古蹟
壇
村より寅卯(東北東~東の間)の方5町計、米沢に通る裏街道の左右に並び、その数7あり。因て土人七壇と称す。
高2尺計より7、8尺計・周2間より14、5間計に至る。
何の由来を伝えず。
経壇・熊野壇など称す。
外部リンク等
- Google Map
- 下荒久田地区
- 新田地区? - 大字始地内にそれらしき地名がない
- 黒川堰? - 本村の西にある水路が黒川堰か?
- 中明堰?
- 薬師寺(旧・宝蔵院?)
- 七壇?
- 他
- 参考
古地図
村名について
幕末まで(1868年)、会津郡下荒久田村。
明治8年(1875年)、 中明村・鈴木新村・下荒久田村が合併し始村となる。
明治22年(1889年)、上高野村・始村・藤室村・中沢村・中沼村・木流村・柳川村・界沢村・石堂村・上荒久田村が合併し栄和村となる。
明治36年(1903年)、栄和村の一部(始・中沢・石堂・藤室・上荒久田)に町北村が、残部(中沼・木流・柳川・界沢・上高野)に高野村が発足。
昭和26年(1951年)、町北村が若松市に編入。
昭和30年(1955年)、門田村・湊村・一箕村・高野村・神指村・大戸村・東山村が若松市に編入し、改称して会津若松市となる。
米沢裏街道
米沢に通る裏街道とは、現在の
写真舘さくら辺りから入る小径の事かと。
裏街道は本村を過ぎた後、現
中沼橋を渡り藤倉を過ぎ
六町原の代官所(広田駅)方面に向かっていたのですが、農地開拓により街道は寸断されて跡影もないです。
最終更新:2025年12月18日 21:48