会津郡中荒井組真渡村

陸奥国 会津郡 中荒井組 真渡(まわた)
大日本地誌大系第31巻 46コマ目

府城の西に当り行程1里6町。
家数55軒、東西2町22間・南北2町57間。
東は鶴沼川に臨み三方田圃(たんぼ)なり。

東2町30間蟹川村の界ふ。
西3町53間中里村の界に至る。その村は未申(南西)に当り4町20間余。
南1町15間礫宮村の界に至る。その村まで3町10間余。
北11町34間河沼郡坂下組塚原村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り23町50間。

端村

鈴淵(れいふち)

本村の戌(西北西)の方9町20間余にあり。
家数19軒、東西1町48間・南北1町40間。
四方田圃なり。

山川

鶴沼川

村東にあり。
蟹川村の境内より来り、北に流るること15町50間、塚原村の境内に入る。

水利

思鑿堰

中里村の方より来り田地に注ぎ村西にて2派となり、一は端村鈴淵の東を過ぎ河沼郡牛沢組上茅津村の方に注ぎ牛沢組・坂下組諸村の養水となり、一は鈴淵の西を過ぎ富川村に入る。

富川堰(とみかはせき)

村の東北にて鶴沼川を引き、塚原村の方に注ぐ。

鈴淵の北にて思鑿堰に架す。
縦横十字のごとし。因て十文字樋と名く。
上樋は長6間・幅4尺。
下樋は長8間・幅1間。
鈴淵の西を過ぐるものを受けて富川堰に入る。

神社

五郎神社

祭神 不明
相殿 若宮八幡
   鈴神
   輝井神 藤原泰衡が一族輝井某を祀れりと云う
草創 不明
村中にあり。
祭神詳ならず。何れの時の草創なることを知らず。
鳥居幣殿拝殿あり。

別当 瀧本院

本山派の修験なり。
寶永の頃(1704年~1711年)喜教という者より現住喜用まで5世なりという。

寺院

西光寺

村中にあり。
山號を東照山という。
何れの頃の開基ということを知らず。もとは真言の道場なり。
正保の頃(1645年~1648年)北青木組木村恵倫寺の末山曹洞宗となりしという。
本尊弥陀客殿に安ず。

古蹟

館跡

村中にあり。
20間四方計の地を館内と称す。
如何なる人の居りし処をいうことを伝えず。



鈴神社について北会津志から一部抜粋
 真渡から独立したのは明治初年であるが、その時鈴社を五霊神社より分祀したという。しかし鈴社というのは 寛文五年の書上げにもあるから、真渡に移っていたとすれば、五霊神社に相殿されていれものかも知れない。


鬼渡神社について北会津志から一部抜粋
村の伝承によると、前九年の役に(永承六年-一〇五一)、源頼義が、東夷の安倍頼時を討伐した際、鎌倉権五郎景正が、敵の鳥の峯の矢三郎(弥三郎か)に左の目に矢を射込まれてもひるまず、七日七夜敵を追うて、ついにこの地で仕止めた。その若い勇将金五郎景正を祭って五郎の明神といい、五郎神社と呼んでいたものを、享保四年(一七一九)に正一位五霊神社として祭ったものであるという。この矢三郎は鬼渡神社として、村の東方五〇〇メートルほどの大川の土堤西に祭ってある。榎の大木の下に、現在は蟹川村で祭っている石の小南である。

 鬼渡神社の矢三郎に至っては、伝説である。恐らく東北に広く歌われる「弥三郎やーい」など弥三郎と関聯があるかと思うし、鬼渡りは今風邪の神として、かざびち、即ち風ひきの祭を蟹川・川崎などで行なっているが、ねわたり神社に卵をあげる風習はここにもあり、にわとり神社とも通じる。これは広く渡し場などに祭られているので、荷渡り、即ち渡し場の守護神から、音が変って、にわたり、にわとり、鬼渡りなどになっている、古くからの民間信仰の一つであろうかと思う。