この村天喜の頃(1053年〜1058年)より塚原といいしが、後転じて束原に作れり。寛文中(1661年~1673年)にこれを復す。
府城の西北に当り行程2里13町。
家数45軒、東西2町40間・南北3町24間。四方田圃にて東は鶴沼川に近し。
山川
鶴沼川
村東2町10間余にあり。
真渡村の界より来り、18町北に流れ
細工名村の界に入る。
東西8町余・南北18町計の河原あり。
関梁
船渡場
越後街道にて鶴沼川を渡り高久村に行く。
水利
富川堰
神社
八幡宮
村より2町辰巳(南東)の方、鶴沼川の西岸林の中にあり。
満蔵寺司なり。鳥居拝殿あり。
寺院
満蔵寺
村中にあり。
天台宗流古山と號す。創建の時代を知らず。
文亀2年(1502年)源順という像住せりという。
明暦元年(1655年)より下野国日光山妙道院の門徒となる。
本尊地蔵客殿に安ず。
観音堂
境内にあり。
会津三十三所順禮の一なり。
古蹟
館跡
村北にあり。
東西2間20間余・南北2町10間余。
何つの頃にか平田兵部少輔(諱を失う)という者住せし所という。
今は皆田圃となれり。
参照・補足
- 昔は現在地に居住する者と、南方約一粁位離れた上塚原に十数戸と馬頭観音堂があったと伝えられる。この上塚原の屋敷跡から生活用品の陶器片が出土し、「観音堂」という土地には馬頭観音の石碑が現存する。
外部リンク等
村名について
明治22年(1889年)、福原村・宮古村・金上村・海老細村・塚原村・開津村・新開津村の区域をもって金上村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・広瀬村・川西村・八幡村と合併して会津坂下町が発足。
束原村と越後街道略図
古地図
※磐城岩代両国全図(明治11(1878)年) - 福島県立図書館
束原の北東、大川を渡す越後街道の舟渡場の記載があります
束原地区の社寺
法人番号公表サイトで調べると下記の登録がある
| 法人番号 |
商号又は名称 |
所在地 |
| 6380005008788 |
八幡神社 |
河沼郡会津坂下町大字束原字宮後1716番地 |
| 1380005009023 |
満藏寺 |
河沼郡会津坂下町大字束原字東1516番地 |
6.神社
正八幡神社 祭神:誉田別神 祭日:九月五日(旧八月十五日)鎮守神。字宮後地内。元境内には杉林が繁茂しており、磐梯山頂から俯瞰すればすぐにわかる大きな森であった。
7.寺院
流古山満蔵寺 天台宗 本尊:地蔵墓猿坐像 像高:三十二糎 総高:五十二糎 字東地内。
馬頭観音堂 本尊:馬頭観音立像 像高:五十一糎 総高:六十二糎 一本造り三面八臂にして左右対象的の美しい作品。会津札所十一番。おこもりは八月九日。観音堂は村南から移築の際、柱間の間づまりや花頭窓の大修理等行われたと思われる。縁日:毎月十七日。
最終更新:2025年11月13日 22:37