河沼郡坂下組塚原村

陸奥国 河沼郡 坂下組 塚原(つかはら)
大日本地誌大系第33巻 122コマ目

この村天喜の頃(1053年〜1058年)より塚原といいしが後転じて束原に作れり。寛文中(1661年~1673年)にこれを復す。

府城の西北に当り行程2里13町。
家数45軒、東西2町40間・南北3町24間。
四方田圃(たんぼ)にて東は鶴沼川に近し。

東15町会津郡高久組高久村の界に至る。その村まで18町20間余。
西1町24間牛沢組中茅津村の界に至る。その村は未申(南西)に当り9町余。
南16町42間会津郡中荒井組真渡村の界に至る。その村は辰巳(南東)に当り23町50間余。
北3町14間細工名村に界に至る。その村まで4町20間余。

山川

鶴沼川

村東2町10間余にあり。
真渡村の界より来り、18町北に流れ細工名村の界に入る。
東西8町余・南北18町計の河原あり。

関梁

船渡場

越後街道にて鶴沼川を渡り高久村に行く。

水利

富川堰

真渡村の方より来り田地の養水とし細工名村の方に注ぐ。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
相殿 稲荷神
鎮座 不明
村より2町辰巳(南東)の方、鶴沼川の西岸林の中にあり。
満蔵寺司なり。鳥居拝殿あり。

寺院

満蔵寺

村中にあり。
天台宗流古山と號す。創建の時代を知らず。
文亀2年(1502年)源順という像住せりという。
明暦元年(1655年)より下野国日光山妙道院の門徒となる。
本尊地蔵客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。
会津三十三所順禮の一なり。

古蹟

館跡

村北にあり。
東西2間20間余・南北2町10間余。
何つの頃にか平田兵部少輔(諱を失う)という者住せし所という。
今は皆田圃となれり。