会津郡中荒井組舘村

陸奥国 会津郡 中荒井組 (たて)
大日本地誌大系第31巻 47コマ目

昔この地に大なる館あり。その跡に民居を営みし(ゆえ)名けりという。

府城の西に当り行程1里24町。
家数15軒、東西1町42間・南北46間。四方田圃(たんぼ)なり。

東1町16間・北1町13間、共に田村山村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り2町。
西2町21間宮下村の界に至る。その村は未申(南西)のに当り3町10間余。
南5町58間本多村に界ふ。
また
巳(南南東)の方3町48間荒田村の界に至る。その村まで6町。

寺院

観音寺

村中にあり。
福聚山と號す。
真言宗大町一桂院の末寺なり。山號を福聚山という。
何れの頃の開基にか詳ならず。
天正3年(1575年)圓智という僧修補を加え、同16年(1588年)兵火の為に炎上し、その後再興して今に至れりという。
本尊弥陀客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。
この堂もまた圓智が修理せし所にして、兵燹(へいせん)にかかりその後に再興せしという。
会津三十三所順禮の一なり。


外部リンク等



村名の遷移

明治8年(1875年)、舘村、宮ノ下村、出尻村が統合され三伏村が発足する。
明治12年(1879年)、三伏村が福島県内における郡区町村制の施行により北会津郡の村となる。
明治22年(1889年)、町村制の施行により三伏村が周辺6村と合併し荒井村が発足し、旧三伏村域が荒井村大字三伏となる。
昭和28年(1953年)、荒井村が舘ノ内村と合併して荒舘村が発足し荒舘村の大字となる。
昭和31年(1956年)、荒舘村が川南村と合併して北会津村が発足し北会津村の大字となる
平成16年(2004年)、北会津村が会津若松市に編入され、会津若松市の大字となるとともに、大字三伏のうち字舘ノ内乙、小林乙、赤塚乙、天神乙、赤塚、砂田が北会津町舘へと変更される。
最終更新:2025年09月14日 20:35