会津郡中荒井組宮下村

陸奥国 会津郡 中荒井組 宮下(みやのした)
大日本地誌大系第31巻 43コマ目

天文の頃(1532年~1555年)まで下荒田村といい、後今の名に改めしという。

府城の西に当り行程1里24町。
家数24軒、東西1町20間・南北1町30間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東5町5間・北3町20間、共に舘村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り3町10間余。
西3町47間大沼郡高田組新屋敷新田村の界に至る。その村まで8町40間余。
南9町5間本多村の界に至る。その村まで7町30間余。
また巳(南南東)の方1町13間荒田村の界に至る。その村まで6町。

端村

勘太新田(かんたしんでん)

本村より6町30間余申(西南西)の方宮川の西にあり。
家数1軒。
東は宮川に近く、西は新屋敷新田村の端村向新田の民居に続く。

山川

宮川

村西3町40間余にあり。
本多村の境内より来り、北に流るること12町余、和泉村の境内に入る。

蓼川

村西2町にあり。
荒田村の界より来り、北に流るること10町余、出尻村の界に入る。

関梁

村西4町にあり。
宮川に架す。
土橋にて隣村の通路なり(新屋敷新田村の条下に出す)。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
相殿 伊勢宮 2座
   若宮八幡
   稲荷神
   婆神
   熊野宮
   諏訪神
   明神
   稲荷神
鎮座 不明
村中にあり。
應永10年(1403年)・天文24年(1555年)に修理ありし棟札2枚あり。
その後、延寶2年(1674年)に筑前守正経これを修補せり。
8月15日祭禮あり。

鳥居

両柱の間8尺

本社

5尺四面東向

幣殿

2間に1間半

拝殿

4間に2間

神供所

拝殿の北にあり。
2間に1間半。

棟札

   迦陵頻迦聲結緣之初普及於一切
   勸請沙門阿闍梨豪仙   子息平義
梵字 奉修理八幡宮御社一宇 宮主平守光
      應永十年癸未八月六日
       大工太郎兵衛入道沙彌祐勝
             彥太郎 兵衛四郎
梵字 会津西十二村内下荒田百姓同心造之
    同

          富田美作守藤原滋實 花押
梵字 卍 奉修理八幡宮一宇
       願者 日出山豊後守平實顯 花押
        大工井上内匠助平宗儀
       天文廿四年乙卯九月廿九日
   奥州會津西十二村之内下荒田

神職 渡部出羽

寛文中(1661年~1673年)勝大夫久安神職となりてより今の出羽久明まで5世なりという。