会津郡中荒井組田村山村

陸奥国 会津郡 中荒井組 田村山(たむらやま)
大日本地誌大系第31巻 47コマ目

府城の西に当り行程1里21町。
家数27軒、東西1町17間・南北1町50間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東4町1間石原村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り3町。
西25間舘村の界に至る。その村は申(西南西)に当り2町。
南4町20間荒田村の界に至る。その村まで7町30間。
北11町2間河沼郡牛沢組上茅津村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り14町30間。
また
戌亥(北西)の方4町20間和泉村の界に至る。その村まで7町。

山川

清水

村より20間余未申(南西)の方にあり。周20間余。
慶長中(1596年~1615年)上杉景勝この邊に鷹狩し、この水を飲みその甘冽(かんれつ)を賞す。土人因て景勝清水と称す。
また、その北に産清水と云あり。周6間計。
2水合して広2間計の川となる。これを観音の御手洗という。
和泉村の方に注ぎ祖母(うは)川と唱ふ。
田地の養水となり下流宮川に入る。

神社

住吉神社

祭神 住吉神?
相殿 伊勢宮 5座
   稲荷神 2座
   八王子神
   十二神
   白山神
   諏訪神
   荒神
草創 不明
村中にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。宮下村渡部出羽が司なり。

寺院

養泉院

村中にあり。
福聚山と號す。
真言宗下荒井村蓮華寺の末寺なり。
もと蓮華寺6坊の一にしてその境内にあり。
天正巳丑のの兵火(1589年)にかかち宥覺という僧この地に移せりという。
弘法を本尊とし客殿に安ず。

観音堂

住吉神社の北にあり。
創造の年月詳ならず。
会津三十三順禮の一なり。
養泉院これを司る。

古蹟

館跡

村中にあり。
東西29間・南北50間。
民居となり字を館内と唱ふ。
何人の居りし所なることをしらずと云う。

壇2

村の2町30間余丑寅(北東)の方にあり。
西を灰塚(はひつか)と称す。高6尺・周20間余。
一はその東30間余、石原村と入会の地にあり糠塚(ぬかつか)と称す。高9尺・周30間余。
東西に相對(あいたい)して田畝の中にあり。土民その来由を伝えず。
天明中(1781年~1789年)灰塚より管の如なる青石数枚と破鏡1片を堀出す。青石は美須麻流(みすまる)の珠なるべしという。



余談:村名の遷移
田村山村
→(明治8年に荒田と統合)和合村
→(明治22年の町村制の施行時に周囲の村と合併)荒井村大字和合
→(昭和28年に舘ノ内村と合併)荒舘村の大字
→(昭和31年に荒舘村が川南村と合併して北会津村が発足)北会津村の大字
→(平成16年北会津村が会津若松市に編入、一部地名が変更となる)北会津町田村山

古地図

※地理院地図(明治43年測図/昭和6年修正測図)

合併により地名が荒井村の大字和合になっている
最終更新:2025年07月06日 18:25
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