府城の西に当り行程1里21町。
家数27軒、東西1町17間・南北1町50間。四方田圃なり。
東4町1間
石原村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り3町。
西25間
舘村の界に至る。その村は申(西南西)に当り2町。
南4町20間
荒田村の界に至る。その村まで7町30間。
北11町2間
河沼郡牛沢組上茅津村の界に至る。その村は亥(北北西)に当り14町30間。
また
戌亥(北西)の方4町20間
和泉村の界に至る。その村まで7町。
山川
清水
村より20間余未申(南西)の方にあり。周20間余。
慶長中(1596年~1615年)上杉景勝この邊に鷹狩し、この水を飲みその
甘冽を賞す。土人因て景勝清水と称す。
また、その北に産清水と云あり。周6間計。
2水合して広2間計の川となる。これを観音の御手洗という。
和泉村の方に注ぎ
祖母川と唱ふ。
田地の養水となり下流宮川に入る。
神社
住吉神社
祭神 |
住吉神? |
相殿 |
伊勢宮 5座 |
稲荷神 2座 |
八王子神 |
十二神 |
白山神 |
諏訪神 |
荒神 |
草創 |
不明 |
村中にあり。
鳥居幣殿拝殿あり。宮下村渡部出羽が司なり。
寺院
養泉院
村中にあり。
福聚山と號す。
真言宗下荒井村
蓮華寺の末寺なり。
もと蓮華寺6坊の一にしてその境内にあり。
天正巳丑のの兵火(1589年)にかかち宥覺という僧この地に移せりという。
弘法を本尊とし客殿に安ず。
観音堂
住吉神社の北にあり。
創造の年月詳ならず。
会津三十三順禮の一なり。
養泉院これを司る。
古蹟
館跡
村中にあり。
東西29間・南北50間。
民居となり字を館内と唱ふ。
何人の居りし所なることをしらずと云う。
壇2
村の2町30間余丑寅(北東)の方にあり。
西を灰塚と称す。高6尺・周20間余。
一はその東30間余、石原村と入会の地にあり糠塚と称す。高9尺・周30間余。
東西に相對して田畝の中にあり。土民その来由を伝えず。
天明中(1781年~1789年)灰塚より管の如なる青石数枚と破鏡1片を堀出す。青石は美須麻流の珠なるべしという。
外部リンク等
村名の遷移
明治8年(1875年)、田村山村と荒田村が統合され和合村が発足する。
明治12年(1879年)、和合村が福島県内における郡区町村制の施行により北会津郡の村となる。
明治22年(1889年)、町村制の施行により和合村が周辺6村と合併し荒井村が発足し旧和合村域が荒井村大字和合となる。
昭和28年(1953年)、荒井村が舘ノ内村と合併して荒舘村が発足し荒舘村の大字となる。
昭和31年(1956年)、荒舘村が川南村と合併して北会津村が発足し北会津村の大字となる
平成16年(2004年)、北会津村が会津若松市に編入され会津若松市の大字となるとともに、大字和合のうち字塚越甲、田村山甲、堂ノ下甲、熊ノ宮、塚越、田村山が北会津町田村山へと変更される。
古地図
最終更新:2025年09月14日 20:20