祭神 |
応神天皇尊霊 |
八幡神 |
創設 |
寛治元年(1087年)~? |
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寛治中年(1087年~1094年)陸奥守源義家朝臣勅を奉て清原武衡討伐の時、逆賊を平げなば部内数所八幡の社を営むべしと
丹祈の旨あり。因って凱旋の日
処処に社を創立せらる。当社もその1つ。義家
従卒並みに役夫を発し人ことに一箕の土の運しめ丘陵を築き社屋をその上に造営あり。故にこの地を一箕山と名く(府下
滝沢町妙法寺縁起には「正和三年(1314年)当寺開山日什が父石塚某という者この山を築く」と伝える。されど
舊事雑考には山の蟠根巨宏常人の作るべきにあらず義家朝臣の築かれしなるべしという)。
また
嘗て社前に数十囲の杉樹2株あり。義家朝臣の植し木という。文禄中(1593年~1596年)蒲生氏郷これを伐らしむるに、根株の中より
箭1雙出て見るもの奇異とせり。
寛永中(1624年~1645年)破壊に及びしを加藤嘉明その臣杉山某をいう者に命じて修せしむ。
宝暦6年(1756年)12月本社炎上す。
同8年(1758年)有司に命じて造営せしむ。
毎年3月19日花合あり。9月19日の祭禮に流鏑馬あり。
この日府より神馬を供ふ。
鳥居 2基。
1基は府下より
牛墓村に通る白川街道の北側にあり。二の鳥居なり。石にて造る。両柱の間1丈2尺。高3間余。
ここより北に向て本社に行く小路を縄手通といい4町10間あり。
1基は二の鳥居の北3町10間余にあり。一の鳥居なり。枙立作にて両柱の間9尺。
二王門
一の鳥居の北50間にあり。3間に2間。
門前に馬場あり。東西80間余。
9月19日ここ流鏑馬あり。
石階
二王門の北30間にあり。
北に向けて登ること21級。
制札
石階の下、東の方にあり。
神馬厩
石階の下、西の方に制札に対してあり。
3間に2間。
舞殿
石階の上にあり。
5間に2間。
本社
6尺四面、南向。
神體、長2尺2寸6分。木像、甲冑を被り弓箭を挟む。
東西と北に玉垣を繞らす。
幣殿
2間1尺に1間4尺。
拝殿
5間に2間。
観音堂
本社の西にあり。
会津三十三所順禮の一なり。
燈明石
神馬厩の南にあり。
高1尺余・周5尺計、上面平かなり。時として石上い火光ありて供燈の如し。
寶物
鰐口 1口。
径り8寸。表に『陸奥會津布引山毘盧舎那殿鰐口五之内國士大平葦名修理大夫盛氏寄進』裏に『羽黒三山兩峯司宿老一箕山瀧澤寺 永禄九丙寅七月大吉祥日』と彫付あり(永禄9年:1566年)。
別当 泉明院
本山派の修験なり。弘治の頃(1555年~1558年)宥考という者より、現在の大淳まで11世なりという。
最終更新:2020年03月08日 09:48