昔この村に不動堂と太子堂あり。因て二堂村といい、寛文中(1661年~1673年)に改て今の名とす。
府城の西南に当り行程1里15町。
家数12軒、東西54間・南北13間。
四方田圃なり。
東1町30間・西2町・南1町15間、共に
下小松村の界に至る。その村は未申(南西)に当り4町30間余。
北2町24間
柏原村の界に至る。その村まで6町30間。
水利
思鑿堰
寺院
不動堂
村北30間余にあり。
草創の年代詳ならず。
不動、長1尺8寸。座像古佛なり。
古木繁陰し境地ものふりたり。
府下
千軒道福證寺これを司る。
古蹟
西堂寺迹
不動堂の西にあり。
真言の道場にて、本尊太子の背に『延文二丁酉年三月十日檀主小松金家十人法心妙圓二人也』と書付ありしという(延文2年=1357年)。延寶3年(1675年)本寺なきに因て廃せり。後太子の像も火災にかかり今はなし。
(
舊事雑考に西堂寺と寶幢院と記す訛れり)
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最終更新:2020年03月10日 19:29