大沼郡橋爪組関山村

陸奥国 大沼郡 橋爪組 関山(せきやま)村・上小松(かみこまつ)
大日本地誌大系第32巻 170コマ目

関山村はもと福永村の端村にて古戸須美沢(ふるとすみさは)など称して民居処々にありしを、寛永18年(1641年)この所に聚め駅所とす。正保3年(1646年)に(のぼ)らせて*1別村とす。
また上小松村も八重松村の端村なりしを関山村と同時に別村とす。
両村の田圃(たんぼ)相雑て地界なり。民家も今に雑居して1村の如し。

府城の西南に当り行程2里34町。
家数60軒(40軒は関山村・20軒は上小松村なり)、東西54間・南北5町25間。
下野街道を挟む。
村中に官より令せらるる掟条目の背札あり。
地所山間にて南北往々田圃(たんぼ)あり。

下野街道の駅所にて、上りは府下よりここに継ぎ、ここより2里18町会津郡楢原組大内村駅に継ぐ。下りはここより19町福永村駅に継ぐ。

東20町本郡南青木組大石村の山界に至る。
西12町東尾岐組市野村の山界に至る。
南1里20町余大内村の山界に至る。その村まで2里23町。
北9町福永村の界に至る。その村まで16町。

村北に一里塚あり。

関山村 端村

高松(たかまつ)

本村の南11町、下野街道の左右にあり。
家数2軒、東西10間・南北1町。
山間に住し東は火玉川に()ふ。

橡沢(とちさは)

高松の南13町、下野街道にあり。
家数8軒、東西10間・南北3町。
山間に住す。
この村の村民の家に親鸞の自ら書いてあたえしとて六字名號*2を蔵む。
(ゆえ)ありて高松にあり。

山川

福永峠

一名に関山峠、俗に大内峠という。
村南30町計にあり。
9折して登ること24町計、ここを越て大内村に行く。
昔は氷玉峠といい、加藤氏のとき今の名に改む。

火玉川(ひたまかわ)

源を福永峠の諸渓より発し、端村橡沢・高松の東を経て、村東に至り北に流るること凡1里20町計福永村の方に注ぐ。

水利

村北5町10間余にあり。
周140間。
明暦2年(1656年)に築く。
上小松村及び八重松村の養水とす。

神社

熊野宮

祭神 熊野宮?
相殿 白幡八幡宮
   稲荷神
   日光神
   権現
勧請 不明
村西山上にあり。
関山村の鎭守なり。
鳥居幣殿拝殿あり。福永村山口越後これを司る。

水神社

祭神 水神?
相殿 熊野宮
   権現
鎮座 不明
村より寅(東北東)の方2町20間山中にあり。
上小松村の鎭守なり。
何の頃の鎭守なるや詳ならず。老杉数株ありてものふりたり。
石鳥居あり。村民の持なり。

山神社

祭神 山神?
鎮座 不明
関山村の端村橡沢の辰巳(南東)の方にあり。
村民の持なり。

寺院

法蓮院

村西山足にあり。
上小松村の寺なり。
日當山と號す。真言宗府下道場小路町観音寺の末山なり。
開基詳ならず。
天正年中(1573年~1593年)長傳という僧住すという。
もとはここより北2町計にあり。寛永17年(1640年)ここに移せり。
大日を本尊とし客殿に安ず。

虚空蔵堂

村東2町山の半腹岩窟の中に安ず。
建立の始しれず。
関山村の護佛なり。

観音堂

村西山麓にあり。
創建年代知らず。
上小松村の護佛にて会津三十三所順禮の一なり。
この堂もと山下の平地にあり。寛政2年(1790年)山をきりひらきこの所に移す。

不動堂

村中にあり。
草建の年月詳ならず。
村民の持なり。



氷玉峠周辺

氷玉峠と近辺の地図。
大内ダム(平成3年竣工)や大内宿こぶしライン(平成15年完成)もまだありません。
※地理院地図(大正2年計図/昭和6年修正)


最終更新:2020年04月03日 22:55
添付ファイル

*1 陞る:地位が向上する意

*2 六字名号:『南無阿弥陀仏』の6字