大沼郡橋爪組福永村

陸奥国 大沼郡 橋爪組 福永(ふくなか)
大日本地誌大系第32巻 170コマ目

昔は氷玉村という(火の字「日」に作り或いは「檜」に作るものあり)。加藤氏「火」の字を忌みて寛永4年(1627年)今の名に改む。
この村の地面もとは広かりしにや。関山村は端村なりしという。

府城の西南に当り行程2里21町余。
家数38軒、東西1町42間・南北4町36間。
山間に住し村中に火玉川流れ北に田圃(たんぼ)あり。

下野街道の駅所にて、村中に官より令せらるる掟条目の背札あり。
下りは19町関山村駅よりここに継ぎ、ここより府下に継ぐ。

東3町34間本郡南青木組大石村の山界に至る。その村は寅卯(東北東~東の間)に当り26町余。
西4町40間八重松村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り5町10間余。
南5町58間関山・上小松両村の界に至る。両村まで12町。
北7町6間本郷村に界ふ。
また
寅(東北東)の方5町6間相川村の界に至る。その村まで6町50間余。

端村

大工屋敷(たこやしき)

本村の南1町20間にあり。
家数4軒、東西1町・南北1町。
山間に住す。
東北往々に田圃(たんぼ)あり。
越後国蒲原郡上條組拂川村の端村西山日光寺の鐘銘に『寛正五年大沼郡火玉大工藤内次郎家貞』とあるはこの地のものにや。
※寛正5年:1464年

山川

熊穴山(くまあなやま)

村南18町にあり。
頂上まで2町40間。
中腹に岩穴あり。周12間計。土人熊穴という。

新山(にひやま)

村東20町にあり。
頂上まで1町50間。
半腹に畳4畳ほどしくべき岩穴あり。

團子石山(たこいしやま)

村より辰(東南東)の方6町にあり。
頂上まで2町。
円なる石多く出る(ゆえ)名く。
また石英を産す。

白旗山(しらはたやま)

村より巳(南南東)の方7町にあり。
高50間計。
昔戦争の時旗を建てし所なりという。
またその邊に龍口(たつのくち)という岩あり。
その戦いづれの時か伝えず。
塔寺村八幡宮長帳に、永正8年(1511年)南山の勢火玉へ焼働して()く討れしよし見ゆ。永正の頃南山を領せしは長沼盛秀なれば、会津を襲んとて兵ここに出せしを打敗れしことと見えたり。

牛岩

村より巳(南南東)の方4町にあり。
高2間・周12間計。
岩上に凹なる所多くあり。
土人相伝て牛蹄の跡という。
会津郡小出組小野村の方より年ごとに牛来り、この岩上に憩息せしという。

論清水(ろんしみず)

村北3町にあり。
周18間。

稲荷清水

村東2町にあり。
周20間。
下流、田地の養水となる。

火玉川

関山・上小松両村の境内より来り、村中に至り北に流れ、八重松村の界に入る。
境内を経ること凡15町計。
田地の養水とす。

水利

村より卯辰(東~東南東の間)の方8町にあり。
新山堤という。
東西170間・南北30間。

神社

藤巻神社

祭神 面足尊(おもだるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)
相殿 伊勢宮
   稲荷神
   天神
   腰王神
   玉御前神
鎮座 不明
村中にあり。
相伝て。昔は永楽10貫文の社料あり神官・社僧も多かりしという。舞台田・神楽田・笛吹田などいえる今に田圃(たんぼ)の字に遺れり。
天正年中(1573年~1593年)蒲生氏の時社料を失い社頭頽敗(たいはい)し旧礎のみ存せしを、萬治元年(1658年)に再興して小社を経営す。
古木蕃蔚せり。
本社の東北にある銀杏樹殊にものふりて見ゆ。その下に周13間余の神池を鑿せり。今は水無し。中に小き岩あり。
この池の側に高9尺余・周28間の岩あり。その形状最奇竣にして苔むしたり。

鳥居

両柱の間9尺。

本社

1間四面、西向。

幣殿

2間に1間。

拝殿

3間に2間。

假殿

本社の北にあり。
2尺5寸四面、西向。

寶物

木像假面 2枚。作者しれず。旧物なり。

神職 山口越後

萬治元年(1658年)この社を再興せし時、本村の農民勝右衛門という者始て神職となり遠江と称す。
今の越後延壽はその5世の孫なりとぞ。

寺院

積翠寺

村中にあり。
笠松山と號す。会津郡南青木組天寧村天寧寺の末寺曹洞宗なり。
開基詳ならず。
慶長16年(1611年)天寧寺の僧獄應住すという。
如意輪観音を本尊とし客殿に安ず。

毘沙門堂

境内にあり。

古蹟

石佛 4

2は村南6町にあり。
高8尺・幅3尺。
2は藤巻神社の亥(北北西)の方にあり。
高7尺・幅3尺。
共に野面石なり。
上に梵字を彫り、下にも文字あるが如く見ゆれども剥落して読べからず。
昔藤巻神社繁栄の時、この所に3重の塔あり。
舊事雑考天正6年(1578年)の記に、7月21日聖護院宮廻国のとき修験道の徒火玉塔の前に祖錢すとあり。然らばこの頃までも塔ありしと見ゆ。いつの頃廃せしや詳ならず。



メモ。
藤巻神社の相殿神・玉御前神とは何だろうと軽く調べてみました。
鹿児島県日置市に玉御前神社がありますが、ネット上では由来について何も見つけられませんでした。
島根県松江市の佐太神社の末社に玉御前(たまのみまえ)社があり、祭神は玉屋命(たまやのみこと)だそうです。
玉屋命(玉祖命)は三種の神器の一つ八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った神様で、勾玉を作っていた一族・玉造部(たまつくりべ)の祖神として崇められているそうです。
なぜこの地域でこの神が奉られていたのかは不明ですが、かなり古い時代から信仰があったものと思われます。
最終更新:2023年11月08日 19:17