会津郡楢原組大内村

陸奥国 会津郡 楢原組 大内(おほち)
大日本地誌大系第31巻 100コマ目

相伝て、昔山本村と称せしを治承の頃(1177年~1181年)高倉宮ここを通り給いしより今の名に改めしという。

府城の南に当り行程5里16町。
家数46軒、東西2町・南北3町。
山中に住し、東西北に田圃(たんぼ)あり。

下野街道の駅所なり。

村中に官より令せらるる掟条目の制札あり。
大沼郡橋爪組関山村駅より2里18町、大沼郡東尾岐組市野村駅より2里4町共にここに継ぎ、ここより2里2町倉谷村駅に継ぐ。

村南に一里塚あり。

東8町小出組小野村の界に至る。その村は卯辰(東~東南東の間)に当り1里8町。
西23町12間東尾岐組東尾岐村の山界に至る。その村は戌亥(北西)に当り2里19町。
南25町30間中倉村の界に至る。その村まで1里30町。
北1里40間関山村の界に至る。その村まで2里25町。

端村

沼山(ぬまやま)

本村の南24町にあり。
東西20間・南北1町。
四方田圃(たんぼ)なり。

山川

小野嶽(おのがたけ)

村東5町にあり(本郡の条下に詳なり)。

沼2

一は村北10町余にあり「おほやけ沼」という。周15町計。寶暦中(1751年~1764年)山崩れて渓水湛ふ。「いはな」を産す。
一は端村沼山の東にあり。周7町余。

原野

沼山原

端村沼山にあり。
東西5町・南北8町。

神社

高倉神社

祭神 高倉宮?
創設 不明
村西1町余にあり。
鳥居あり。

別当 南仙院

本山派の修験なり。開基詳ならず。
定清という者を中興の祖とす。
現住元正は定清が9世の孫なりという。

寺院

正法寺

村北にあり。
浄土宗圓成山と號す。府下五之町高巖寺の末寺なり。
何の頃の草創なるを知らず。
元亀二年(1571年)岌養という僧再興せり。
本尊弥陀客殿に安ず。

観音堂

境内にあり。

墳墓

御側原(おそばはら)

村北3町、下野街道の側に桜木1株あり。
相伝う。昔高倉宮侍妾(じしょう)桜木姫をこの地に葬りしと。
旧桜の古木あり。風の為に折れしかば、後継で栽しとぞ。



余談
「おほやけ沼」があった所は、今は大内ダムの底でしょう。
最終更新:2020年03月27日 20:17