府城の西南に当り行程5里13町。
家数6軒、東西2町・南北2町、深山の間に住す。
東13町
冑村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り1里8町。
西15町
滝谷組高森村の界に至る。その村まで1里。
南35町計
魚淵村の山に界ふ。
北1里余
滝谷組沢中村の山に界ふ。
山川
魚留川
村西8町にあり。
源は村より西南の方博士山の北より出、北に流るること2里10町計
冑村の地を過て
大岩村の境内に入る。
神社
聖神社
村東1町山中にあり。
草創の初詳ならず。
寛文の頃(1661年~1673年)まで『堂山住持垂海于時明應六年二月二十二日』と記せし棟札ありしという。
(明應6年:1497年)
鳥居拝殿あり。村民の持なり。
廃村(昭和59年)
海老山
中冑より海老山川沿いに8km、昭和三十二年完成の林道を南西に遡ると、海老山の集落に至る。
海老山峠(696m)の南側平地に位置し(中略)
人々がこの地に住むようになったのは、平家の落人説もあるが、狩のための仮住まいや山仕事の出小屋の発達したものという説が真実に近いと思われる。
もとは聖神社の南に移住していたが、水の便が悪く、いつの頃にか現在地に移り住むようになったという。
聖神社
鎮守聖神社は村の東山中にあり、境内東西五〇間(91m)、南北一町(109m)という。創祀も古く、草創は不明であるが、寛文の頃現存していた棟札には、「当山従持垂海于時明応六年二月二十二日」と記されていたと、『新編会津風土記』に見られる。明応六年(1497)のことであるから五〇〇年も前のことになる。離村前の神社には、南蒲原郡の大工名の入った宝永二年(1705)の棟札があった。祭には、五反旗「御祭礼天」を神社の前に立て、賑やかに祝いあったものである。ご神体は昭和五十九年の離村に際し杉屋に移し、心のよりどころとして大事に祀ってある。
観音地蔵堂
この村の信仰心は篤く、元文二年(1737)六月の「仁王寺薬師堂再建奉加帳」には22人も名が連ねられていて、仁王寺には「海老山座敷」が特設されていたという。村の中心には観音地蔵堂がいまもしっかりしたたたずまいを残している。草創ははっきりしない。ご本尊は阿弥陀如来で、左右に不動明王と地蔵菩薩をお祀りしていたが、こちらも杉屋の地に下げて祀っている。御堂内には、地域の生活がにじむ言葉が所狭しと落書きされており、中には「頭がよくなりますように」という子供の書いた文字もあり、生活の中心であったことがうかがえる。
その他
- 村の人達七戸(縁の人も含めて九戸)は、墓を残し村を離れるにあたり、全戸で立派な「無縁供養碑」を昭和六十一年八月一日に建立している。また、個人で立てた碑も二基あり、その一つに刻まれた碑文「海老山全面離村にあたりお墓を移転す永い歳月受け継がれ親しみ深いこの地を忘るる能わず」の思いは村全体の気持ちである、後髪を引かれる思いで離村せざるを得なかった、当時の切ない気持ちをよくあらわしている。
最終更新:2025年08月14日 22:20