府城の西南に当り行程6里3町。
家居3軒、東西50間・南北50間、東は川に傍ひ西南北に山繞れり。
東6間・北2町、共に
中在家村の界に至る。その村は北に当り5町20間余。
西8町計
下谷地村の山に界ふ。
南40間
入谷地村の界に至る。その村まで3町余。
山川
宮川
関梁
橋
村東にあり。
隣村の通路、宮川に架す。
長7間、土橋なり。
寺院
高福寺
村中にあり。
山號を松岩山と称す。開基の年代詳ならず。
下野国大沢圓通寺の末山浄土宗なり。
旧は真言の道場にて境内に薬師堂ありしに、天文中(1532年~1555年)地震にて堂舎破壊せしを(
舊事雑考に天文9年8月11日夜大風吹きて西尾岐中村薬師堂倒るとあり)、壇越の助成に依て再び寺を営み
かりに薬師を安せしが、後また
屢衰えけるを、天正17年(1589年)浄土の徒良秀という僧住してより圓通寺の隷し再び廃れたるを興せり。
慶長14年7月(1609年)回禄に罹り薬師の像のみ災を免れて今に客殿に安ず。
俗にこの寺を尾岐の古御堂と称す。
本尊弥陀客殿に安ず。
廃村。
- Google Map
- 中村地区
- 入谷ヶ地と40間(約75m)しか離れていないのであればこのあたりか?
- Geoshapeリポジトリも参照したが微妙に記述と一致しない
- 宮川 - 会津美里湖に水没して位置はハッキリしないが、河川名は現在の大滝川
- 橋 - (略)
- 高福寺?
- 中村 - 会津高田町史 第5巻(各論編 1)
古地図
入谷ヶ地と中村
高福寺
中村には、松岩山高福寺があった。高福寺は、下野国(栃木県)大沢の円通寺末山で、浄土宗に属していた。ご本尊は今は失われてしまったが、薬師如来であったという。この薬師像からかつては、真言宗の道場であったといわれるが、『会津旧事雑考』に「天文年間地震(一説に天文五年の大嵐とあり)で堂舎が崩壊」とある。その後谷ヶ地一円の信者の助力で復興し、本尊に阿弥陀如来を祀ったが、そのうちまた衰微・廃壊してしまった。
この境内跡には、石造の六地蔵・子安地蔵・青面金剛像・二十三夜塔・二十六夜塔・庚申塔などがあり、高福寺の寺跡をとどめていた。これらの石造物は、ダム建設で観音地区に移転した弓田健の裏庭に移祀されてある。
最終更新:2025年08月16日 22:19