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河沼郡青津組西青津村

陸奥国 河沼郡 青津組 西青津(にしあおつ)
大日本地誌大系第33巻 114コマ目

この村旧はここより西2町計にあり。慶長中(1596年~1615年)地震の後今の地に移すという
東青津村の条下と照らし見るべし)。

府城の西北に当り行程3里19町。
家数23軒、東西44間・南北2町14間、西は川に近く三面に田圃(たんぼ)あり。

東2町40間東青津村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り3町余。
西8町7間大口村に界ひ宮川を限りとす。その村まで18町40間。
南1町41間下政所村の界に至る。その村まで3町20間余。
北は村際にて東青津村に界ふ。
また
辰(東南東)の方4町15間谷地村の界に至る。その村まで9町50間余。

山川

宮川

村西2町50間余にあり。
下政所村の方より来り、北に流るること8町20間余東青津村の界に入る。

寺院

光明寺

村中にあり。
不動山と號す。東青津村浄泉寺の末山曹洞宗なり。
永禄11年(1568年)松岩という僧開基せり。
本尊観音客殿に安ず。


参考・補足

  • 会津地震 - 慶長中の地震について
  • 現在の西青津は大字合川字場化(ばつけ)地内にあるが、もとは青津の西方荒地を開墾して村を拓いたので西青津の名称が起こったと考えられる。この地は阿賀川と鶴沼川の合流地点に近いので地盤が低いため水害の常習地であった。特に慶長十六年の大地震によって山崎新湖の出来た時の被害は一層甚しいため現在地に移動した。この時青津や大口に移転した者もあったという。古老の口伝によると現在地に来るまで二回移転を余儀なくされたとのことである。(町史)

外部リンク等


社寺

町史より)
6.神社
稲荷神社 祭神:宇賀御魂命 祭日:十月十八日 村東にある。鎮守神
7.寺院
不動山光明寺 曹洞宗 本尊:コンパル像 像高:七十五糎 青津浄泉寺末寺 元禄十一戊辰(戊寅の誤記か?)年(1698)二月松岩建立
聖徳太子堂 聖徳太子孝養像 像高:七十八糎 祭日:四月二十二日 光明寺境内
不動明王像 光明寺内 祭日:四月二十二日
松尾亀乗大善神 光明寺内 昭和五十一年十月発見 酒造り神で、もと恵日寺に祭られたものと墨書きがある
最終更新:2025年11月03日 21:04
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