府城の西北に当り行程3里18町。
家数26軒、東西2町48間・南北1町3間、四方田圃なり。
東4町30間
谷地村の界に至る。その村まで9町50間。
西9町
笊籬屋敷・
船越2村に界ひ宮川を限りとす。
南3町50間
坂下組中政所村の界に至る。その村まで8町余。
北1町47間
西青津村の界に至る。その村まで3町20間余。
また
辰(東南東)の方4町34間
御池村の界に至る。その村まで13町30間余。
山川
宮川
村西9町にあり。
中政所村の境内より来り、北に流るること9町20間
西青津村の界に入る。
神社
八幡宮
村より申(西南西)の方4町30間にあり。
源義家朝臣この地に旗を建て宿陣ありし所という。今も木を伐り地を浸せば祟ありとぞ。
祭禮8月1日。
鳥居拝殿あり。
塔寺村兼子大和これを司る。
寺院
重福寺
村中にあり。
正榮山と號す。開基詳ならず。
何の頃にか真言の徒圓智或いは安養なという僧侶住せしが、元和3年(1617年)玄察という僧住してより天寧村
天寧寺の末山曹洞宗となる。
地蔵を本尊とし客殿に安ず。
参照・補足
下政所は蜷川庄の政所のあった所が下政所であろうという想定のもとに蜷川庄についてふれておきたい。
藤原時代には貴族は多くの私有地即ち荘園を有していたことがある。三条天皇(1011~1015)の頃、冷泉宮領に蜷川庄が記録されている。蜷川庄の範囲は判然としないが、現在の会津坂下町・柳津町・西会津町の範囲とされている。この荘園は御役所のあった所を政所と称した。
今の下政所地区は大字合川でその中央が政所という字名がある。そこが下政所の集落の中心となっている。字政所を包む様な形で西屋舗・下川原・北遠面・三百刈・村前・宮北等の小字が並んで政庁跡らしい形を見ることができる。
(町史)
外部リンク等
村名について
明治8年(1875年) 、下政所村・西青津村が合併し合川村が発足。
明治22年(1889年)、青木村・青津村・沼越村・立川村・五香村・御池田村・三谷村・中泉村・合川村が合併し広瀬村が発足。
昭和30年(1955年)、坂下町・若宮村・金上村・広瀬村・川西村・八幡村が合併して会津坂下町が発足。
地図
社寺
6.神社
白旗八幡神社 祭神:誉田別尊 祭日:九月一日(旧八月一日) 天喜五年(1057年)八月一日源頼義・義家この地にて八流の白旗を立て八幡大神を祭ったという
雷神 祭日:六月六日
7.寺院
白旗山重福寺 曹洞宗 本尊:地蔵菩薩坐像 像高:七十一糎
法人番号公表サイトで合川地区を検索すると下記の登録がある
| 法人番号 |
商号又は名称 |
所在地 |
備考 |
| 4380005008996 |
光明寺 |
河沼郡会津坂下町大字合川字場化1474番地 |
西青津 |
| 2380005008775 |
白籏八幡神社 |
河沼郡会津坂下町大字合川字宮下623番地 |
下政所 |
| 6380005009002 |
重福寺 |
河沼郡会津坂下町大字合川字村前129番地 |
下政所 |
最終更新:2025年11月02日 22:49