河沼郡牛沢組中茅津村

陸奥国 河沼郡 牛沢組 中茅津(なかかやつ)
大日本地誌大系第33巻 133コマ目

府城の西に当り行程2里18町。
家数40軒、東西1町48間・南北1町28間、四方田圃(たんぼ)なり。

東5町9間坂下組塚原村の界に至る。その村まで6町30間余。
西3町51間坂下組中茅津新田村の界に至る。その村まで5町余。
南49間上茅津村の界に至る。その村まで4町20間余。
北3町23間坂下組下茅津村の界に至る。その村まで6町余。

山川

宮川

村西4町にあり。
上茅津村の方より来り、北に流るること5町計坂下組福原新田村の界に入る。

神社

稲荷神社

祭神 稲荷神?
鎮座 不明
村中にあり。
鳥居拝殿あり。勝方村尾崎左京が司なり。

寺院

延命寺

村の戌亥(北西)の方にあり。
孤峯山と號す。天寧村天寧寺の末山曹洞宗なり。
開基の年代知らず。
慶長9年(1604年)春茂という僧天寧寺12世如察を請て開山とす。
三尊弥陀を本尊とし客殿に安ず。

観音堂

客殿の前にあり。

参照


外部リンク等


対馬神社

会津風土記には記載のない対馬神社ですが、会津坂下町史に記載がありました。
津島神社 祭神 須佐之男神 祭日 七月七日(旧六月十五日)
火除けの神として祭られていたものか?(参照
坂下地域で津島神社があるのは長井地区と二ヶ所だけで、双方共に鎮守神ではない

新村

会津坂下町史 3(歴史編)より)
風土記の本文には記載がありませんが、中開津の北東・束原の西に新村という集落があるのでここに記録しておきます。
会津坂下史によれば、天保6年(1835)旧3月3日に開村し下茅津村の石田利右衛門(下茅津肝煎石田家の分家)が肝煎となりました。
利右衛門は藩命により越後から職人を呼び中茅津分の荒れ地を開墾して村を開きました。
新編会津風土記が文化6年(1809)に完成なのでそれ以後に出来た集落です。

八幡神社

祭神 石清水八幡(いわしみずはちまん)の分身である誉田別尊(ほむたわけのみこと)
鎮座 不明
鎮守神。祭日は7月15日(旧7月15日)


余談

新村は江向・七反田で構成されており大字は開津てはなく「新開津」。
川向いの地区と同じ区分となっているのは珍しい。今の宮川は新しい川道であり昔は旧宮川の流域を流れていたためである。
最終更新:2025年10月26日 20:27