河沼郡牛沢組小野川村

陸奥国 河沼郡 牛沢組 小野川(おのかは)
大日本地誌大系第33巻 147コマ目

この村旧今泉中崎という所に2区ありて凡て3区に住す。寶永中(1704年~1711年)今の地に聚む。

府城の西に当り行程7里25町。
家数16軒、東西1町50間・南北3町30間。
小野川を挟み両岸に住す。
四方に山環り往々田圃(たんぼ)あり。

東8町23間郷戸村の界に至る。その村まで8町30間余。
西11町持寄村の界に至る。その村まで22町。
南3町中野村の界に至る。その村まで8町。
北12町出倉村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り22町50間余。

山川

所窪山(ところくほやま)

村西にあり。
西は持寄村に属して大定里といい南麓を峠山という。
登ること3町20間。ここを越えて持寄村にゆく。

只見川

村より亥(北北西)の方10町余にあり。
持寄村の境内より来り、東北に流るること3町計出倉村の界に入る。

小野川(おのかわ)

中野村の界より来り、北に流るること16町計只見川に入る。
広10間余。年魚多し。

関梁

村中にあり。
長13間・幅6尺。
小野川に架す。小野川橋という。

寺院

正徳寺

村北にあり。
多寶山と號す。
永正16年(1519年)教賢という僧始て1宇を結で住せり。後宗旨もさだかならず。
寛永7年(1630年)臨済宗となり柳津村圓蔵寺の末寺となる。
本尊無量壽佛客殿に安ず。

古蹟

館趾2

一は村より7町丑(北北東)の方今泉という所にあり。
東西2町・南北4町。
いつの頃にか小堀山城某という者居るという。
一は村北3町中崎という所にあり。
東西3町・南北5町。
鈴木彌太郎某という者住すという。時代知らず。
共に今菜圃(さいほ)を開く。





余談。
小野川を挟んだ正徳寺の対岸にも神社があるようですが、残念ながら確認できず。


最終更新:2020年05月15日 11:51