河沼郡野沢組黒沢村

陸奥国 大沼郡 野沢組 黒沢(くろさは)
大日本地誌大系第33巻 158コマ目

府城の西に当り行程9里7町。
家数4軒、東西30間・南北1町。
山中に住し東に松手川あり。

東1里10町・西25町18間・南13町、共に牛沢組麻生村の山界に至る。その村は辰(東南東)に当り2里。
北22町22間出原村の界に至る。その村は子丑(北~北北東の間)に当り31町40間余。

端村

今和泉(いまいつみ)

本村より丑寅(北東)の方3町余にあり。
家数18軒、東西40間・南北2町。
山間に住し西に松手川あり。

新屋敷(しんやしき)

今和泉の北2町にあり。
家数7軒、東西30間・南北1町。
山間に住し西に松手川あり。

落合(おちあひ)

新屋敷の北3町にあり。
家数13軒、東西30間・南北2町。
松手・大滝の2川に傍て山間に住す。
また丑(北北東)の方9町30間余に1区あり。新田という。
家数4軒、東西15間・南北1町。
山間に住し東に長谷川あり。

大滝(おほたき)

落合の申(西南西)の方25町余にあり。
家数4軒、東西1町・南北30間。
大滝河に傍て山中に住す。
ここより東20間大滝川に大なる瀑布あり。故に名くという。
また村南に木地小屋1軒あり。

山川

高陽山(かうやうやま)

村より申(西南西)の方3里にあり。
頂まで17町20間。
大沼郡大石組水沼村及び越後国蒲原郡上條組柴倉村と峯を界ふ。
雑木繁茂す。

黒床山(くろとこやま)

村西1里18町にあり。
頂まで20町。
麻生村と峯を界ふ。
雑木多し。

大倉山(たいくらやま)

村より戌亥(北西)の方2里にあり。
頂まで15町。
中野村と峯を界ふ。
雑木多し。

柏木峠(かしはきとうげ)

端村今和泉より未申(南西)の方にあり。
登ること8町50間余、麻生村と峯を界ふ。
金山谷に通る路なり。

銅山

端村落合の西9町鈍子岩という(礬*1の類を産す因てたうすと言うべきをかく唱ふ)。山中に銅を産す。小屋1軒あり。
また落合より丑(北北東)の方10町30間余に鉛山あり。ここにも小屋1軒あり。
その余銀及び銅鉛を産する山近辺に多し。
今野沢本町武兵衛が家に慶長元年の頃(1596年~)金を採りし時の文書を蔵む(野沢本町の条下に出す。併せ見るべし)。

長谷川

源2つ。
一は大滝川といい村西の山中に出、端村大滝の南をすぎ山間を東に流し12丈余の滝となりまた4丈計の滝となる。因て大滝の名あり。25町余流れて落合の西に至る。
一は松手川(まつてかわ)といい村より未(南南西)の方松手村より出、山間を東に流れ村南をすぎ北に折れ端村今和泉・新屋敷の西をすぎ落合の東を流れ北に至り、凡て1里18町流れて大滝川に合し長谷川となり、北に流るること12町出原村の界に入る。

村より未(南南西)の方10町10間余にあり。
周4町40間。松手沼という。

関梁

橋2

一は端村今和泉より申(西南西)の方1町松手川に架す。長5間、面倉橋という。
一は端村落合の西30間余大滝川に架す。長6間、大滝橋という。
共に丸木橋にて村中の通路なり。

神社

蝦夷社

祭神 伝・源義経
相殿 伊舎須美神
   熊野宮
勧請 不明
端村今和泉の南20間にあり。
石階を升ること100余級。
土俗相伝て源義経を祭るという。
鳥居幣殿拝殿あり。野沢本町伊藤対馬が司なり。

寺院

不動堂

端村大滝の東20間にあり。
草創の時代知らず。
村民の持なり。

古蹟

館跡

村より辰(東南東)の方5町にあり。
東西40間・南北1町30間。
何の頃にか長谷川主殿某という者住すという。




古地図

赤羽根近辺

黒沢近辺

※地理院地図(大正2年測図/昭和6年要部修正測図)
最終更新:2024年09月25日 20:22

*1 硫酸を含んだ鉱物の一種