河沼郡野沢組出原村

陸奥国 大沼郡 野沢組 出原(いつがはら)
大日本地誌大系第33巻 157コマ目

昔何人にか伊豆国より来て紙を漉くことを教し(ゆえ)伊豆原村といいしを後今の字に改むという。

府城の西に当り行程8里8町。
家数29軒、東西35間・南北2町30間。
長谷川に傍て山間に住す。

東5町20間二栗村の山に界ふ。
西11町山口村の山に界ふ。
南9町20間黒沢村の界に至る。その村は午未(南~南南西の間)に当り31町40間余。
北8町牛尾村の界に至る。その村まで13町。

山川

高栗山(たかくりやま)

村西3町にあり。
頂まで2町30間。山口村と峯を界ふ。
雑木多し。

長谷川

村西にあり。
黒沢村の境内より来り、北に流るること21町牛尾村の界に入る。

清水

村中にあり。
周3尺。大清水という。
この水にて紙を製す。

土産

その品杉原紙に比すればやや及ばざれども堅強にして久に耐ふ。本組の諸村にて製するもの多けれども初てこの村より漉出せし故総て出原紙と称す。この村にて今は杉原紙をも製出す。

神社

伊豆神社

祭神 伊豆神?
相殿 伊勢宮
   総社
   御稷神
鎮座 不明
村より寅(東北東)の方30間にあり。
鳥居あり。牛尾村沼澤治部が司なり。

天満宮

祭神 天満宮?
草創 不明
村より丑(北北東)の方30間にあり。
神體(しんたい)は銅像にて、長6寸9分。その背に『北野天神延文六』と彫付けあり(延文6年:1361年)。その余支干日月の文字見ゆれど分明ならず。
鳥居あり。沼澤治部これを司る。

山神社

祭神 山神?
勧請 不明
村西11町にあり。
村民の持なり。

寺院

西連寺

村中にあり。
光徳山と號す。府下七日町阿弥陀寺の末山浄土宗なり。
開基の年代詳ならず。
本尊弥陀客殿に安ず。

観音堂

村中にあり。
3間四面西向き。秘佛の観音を安ず。
延元元年(1336年)に創建すという。その後文安2年(1445年)(舊事雑考に文安3年とあり)道祐という者修補を加え、天正7年(1579年)沼澤出雲眞道という者再びこれを修理せり。慶長16年(1611年)8月の地震に頽顛(たいてん)しければ、同17年(1612年)村民力を(あわ)せて再興せり。
その時の棟札、共に寛文中(1661年~1673年)までありしという。今その写しあれば左に載す。
また舊事雑考貞和2年(1346年)の記に、4月17日稲川荘伊豆原村圓満寺観音堂寶器成とあり(今はなし)。
またこの村の農民五兵衛という者の家にて毎年7月7日の朝「まんたら」と號し小さき団子を製しこの堂に蒔ことあり。何の謂れを知らず。

棟札
※国立公文書館「新編会津風土記94」より

別当 圓満寺

境内にあり。
縛曰羅山と號す。
延元元年(1336年)に草創すろいえども開基の僧を詳にせず。
真言宗野沢原町如法寺の門徒なり。
本尊不動客殿に安ず。





円満寺観音堂

会津三十三所順禮(会津三十三観音巡り)の1つ
国の重要文化財
本尊は「聖観世音菩薩」

出ヶ原和紙

最終更新:2024年09月25日 20:40