府城の西北に当り行程10里31町余。
家数19軒、東西2町30間・南北30間。
揚川の南岸に住し三方に山廻れり。
山川
宇都野山
村より未(南南西)の方5町にあり。
頂まで3町余。
雑木多し。
揚川
村北40間にあり。
下野尻村の境内より来り、屈曲して戌亥(北西)の方に流るること凡1里4町20間余
船渡村の界に入る。
小舟を以て近村に通す。
この川に
赤髪・
大半蔵・
小半蔵・
瀬戸川口など称する急難あり。その所に両岸より相向て斜めに柵をふり水をせきて水勢を急にす。因て諸魚登ることを得ず左右の柵下の淀にあつまるを里人小
罟を竿頭に約してこれを捕る。俗にとり滝と称す。
また赤髪(この所は本村の境内なれども漁猟の利をば下野尾村にて専にす。寛文中(1661年~1673年)撰える風土記には下野尾村の下に注せしなるべし)
見付という二ノ滝あり。岩石斜に相束てとり滝の如し。これを岩滝という。
高反川
上流を宝川という。村西8町にあり。
宝川村の境内より来り、北を流れ斜めに寅卯(東北東~東の間)の方に折れまた戌(西北西)の方に転じ、凡8町流れて揚川に入る。
広5間。
川キス・ザコを産す。
この川に瀑布あり。高3丈。
蛇石
村東1町にあり。
高3尺・方5尺計の黒色の石なり。中程に断裂せし所あり、中葉空虚にして常に数多の小蛇住し時ありて多く頭を出すことあり。斯る時は3日を出ずして必ず雨降るという。
関梁
橋
村西8町、隣村の通路高反川に架す。
高反橋という。
長5間、土橋なり。
神社
若宮八幡宮
村南20間余小高き所にあり。
鳥居あり。下野尻村平野摂津これを司る。
寺院
観音寺
村より未(南南西)の方20間にあり。
真言宗大徳山と號す。
博労町自在院の末寺なり。開基の年代詳ならず。
慶長5年(1600年)尊海という僧住してより今に至る。
本尊観音客殿に安ず。
古蹟
館跡
村より未申(南西)の方5町にあり。
東西27間・南北19間。
何の頃にか山口次郎光義という者住すという。
最終更新:2020年10月20日 07:54