河沼郡野沢組徳沢村

陸奥国 大沼郡 野沢組 徳沢(とくさは)
大日本地誌大系第34巻 12コマ目

府城の西北に当り行程10里31町余。
家数19軒、東西2町30間・南北30間。
揚川の南岸に住し三方に山廻れり。

東12町・北40間、共に耶麻郡吉田組杉山村に界ひ揚川を限りとす。
西18町11間越後国蒲原郡海道組八田村の山界に至る。その村まで1里1町30間余。
南24町計本郡海道組宝川村の山界に至る。その村は未申(南西)に当り23町余。
また
辰巳(南東)の方25町50間下野尻村の界に至る。その村まで1里17町50間余。
亥(北北西)の方12町6間蒲原郡鹿瀬組船渡村の界に至る。その村まで1里。

山川

宇都野山(うつのやま)

村より未(南南西)の方5町にあり。
頂まで3町余。
雑木多し。

揚川

村北40間にあり。
下野尻村の境内より来り、屈曲して戌亥(北西)の方に流るること凡1里4町20間余船渡村の界に入る。
小舟を以て近村に通す。
この川に赤髪(あかかみ)大半蔵(おほはんさう)小半蔵(こはんさう)瀬戸川口(せとかはくち)など称する急難あり。その所に両岸より相向て斜めに柵をふり水をせきて水勢を急にす。因て諸魚登ることを得ず左右の柵下の淀にあつまるを里人小(あみ)を竿頭に約してこれを捕る。俗にとり滝と称す。
また赤髪(この所は本村の境内なれども漁猟の利をば下野尾村にて専にす。寛文中(1661年~1673年)撰える風土記には下野尾村の下に注せしなるべし)見付(みつけ)という二ノ滝あり。岩石斜に相束てとり滝の如し。これを岩滝という。

高反川(たかそりかわ)

上流を宝川という。村西8町にあり。
宝川村の境内より来り、北を流れ斜めに寅卯(東北東~東の間)の方に折れまた戌(西北西)の方に転じ、凡8町流れて揚川に入る。
広5間。
川キス・ザコを産す。
この川に瀑布あり。高3丈。

蛇石(へひいし)

村東1町にあり。
高3尺・方5尺計の黒色の石なり。中程に断裂せし所あり、中葉空虚にして常に数多の小蛇住し時ありて多く頭を出すことあり。(かか)る時は3日を出ずして必ず雨降るという。

関梁

村西8町、隣村の通路高反川に架す。
高反橋という。
長5間、土橋なり。

神社

若宮八幡宮

祭神 若宮八幡?
鎮座 不明
村南20間余小高き所にあり。
鳥居あり。下野尻村平野摂津これを司る。

寺院

観音寺

村より未(南南西)の方20間にあり。
真言宗大徳山と號す。博労町自在院の末寺なり。開基の年代詳ならず。
慶長5年(1600年)尊海という僧住してより今に至る。
本尊観音客殿に安ず。

古蹟

館跡

村より未申(南西)の方5町にあり。
東西27間・南北19間。
何の頃にか山口次郎光義という者住すという。


最終更新:2020年10月20日 07:54