耶麻郡川東組北窪村

陸奥国 耶麻郡 川東組 北窪(きたくほ)
大日本地誌大系第32巻 16コマ目

府城の東北に当り行程5里1町。
家数9軒、東西50間・南北1町10間。
四方田圃(たんぼ)なり。

東7町下館村に界ひ酸川を限りとす。その村まで14町余。
西は村際にて新町の田圃に界ふ。
南4町猪苗代城下本町の界に至る。本町は未申(南西)に当り4町50間余。
北4町見祢村の界に至る。その村まで8町。
また
丑(北北東)の方36間渋谷村の界に至る。その村まで1里。

村東50間余に小屋1軒あり。悪疾の者を置く所なり。

神社

伊勢宮

祭神 伊勢宮?
相殿 熊野宮
鎮座 不明
村の丑寅(北東)の方30間にあり。
鳥居あり。

神職 鈴木淡路

その祖父記門通實は江戸の者にて氏を鈴木という。正徳3年(1713年)川西組大寺村に来り住す。享保2年(1717年)よりこの社の神職となる。通實が子を清水通盛という。通盛は今の淡路通尚が父なり。

寺院

地蔵堂

村西にあり。
何れの頃にか見祢村境内の泥田という処より堀出せし地蔵という。享保の頃(1716年~1736年)覺道院という修験1石1字の経文を埋めて再営す。
村民の持なり。