府城の東北に当り行程5里1町。
家数9軒、東西50間・南北1町10間。
四方田圃なり。
東7町
下館村に界ひ酸川を限りとす。その村まで14町余。
西は村際にて
新町の田圃に界ふ。
南4町
猪苗代城下本町の界に至る。本町は未申(南西)に当り4町50間余。
北4町
見祢村の界に至る。その村まで8町。
また
丑(北北東)の方36間
渋谷村の界に至る。その村まで1里。
村東50間余に小屋1軒あり。悪疾の者を置く所なり。
神社
伊勢宮
村の丑寅(北東)の方30間にあり。
鳥居あり。
神職 鈴木淡路
その祖父記門通實は江戸の者にて氏を鈴木という。正徳3年(1713年)川西組大寺村に来り住す。享保2年(1717年)よりこの社の神職となる。通實が子を清水通盛という。通盛は今の淡路通尚が父なり。
寺院
地蔵堂
村西にあり。
何れの頃にか見祢村境内の泥田という処より堀出せし地蔵という。享保の頃(1716年~1736年)覺道院という修験1石1字の経文を埋めて再営す。
村民の持なり。
最終更新:2020年06月17日 22:49