この村そのかみ峯村と称しここより未申(南西)の方12町山中に住居す。田畠の便あしきとて元和6年(1620年)今の所に移す。寛文中(1661年~1673年)今の文字に改む。旧址二本平という字あり。
府城の東北に当り行程5里12町。
家数46軒、東西2町30間・南北2町24間。
西北は山につづき東南田圃なり。
東1町
渋谷村の界に至る。その村は丑寅(北東)に当り1里。
西2町30間見祢山の麓に至る。
南4町
猪苗代新町の界に至る。新町まで8町。
北5町丸山の麓に至る。
また
辰巳(南東)の方4町
北窪村の界に至る。その村まで8町。
もと亥(北北西)の方5町に丸山新田という端村あり。今はなし。
小名
中町
本村の未(南南西)の方9町、猪苗代城下の中にあり(
猪苗代城下の下に付す)。
山川
金蔵寺川
水源を琵琶沢という。磐梯山の東腹の谷なり。
1里26町山中を流れ来り、村西を経て南に流るること8町
猪苗代新町の界に入り小黒川という。
広1間。
むかし神野寺の子院金蔵寺あしりゆえ名けしという。旧址を詳にせず。
水利
土田堰
神社
磐椅神社
土津神社
日光神社
古蹟
神宮寺跡
村より申酉(西南西~西の間)の方6町計にあり。
神野寺の子院にて磐椅社の別当なりしという。
何れの頃廃せしか知らず。
今寺家という字あり。近来この処より文殊を彫たる3、4尺計の石を堀得たり。『天正十五年丁亥七月十八日神宮司隠居榮祐』と銘せり(天正15年:1587年)。
また水性寺とて村より戌亥(北西)の方8町にありしという。今その地を知らず。これも神野寺の末山なりしとぞ。
最終更新:2020年06月17日 21:59