耶麻郡川西組蜂屋布村

陸奥国 耶麻郡 川西組 蜂屋布(はちやしき)村(蜂屋敷)
大日本地誌大系第32巻 19コマ目

府城の東北に当り行程4里30町。
家数12軒、東西1町36間・南北1町24間、四方田圃(たんぼ)なり。

東2町・南3町30間、共に相名目村の界に至る。その村は東に当り4町30間。
西1町38間百目貫村の界に至る。その村は戌亥(北西)に当り12町。
北46間下堂観村の界に至る。その村は丑(北北東)に当り10町50間余。
また
丑寅(北東)の方4町46間廻谷地村に隣りその村際を界とす。

山川

小黒川

村西1町にあり。
廻谷地村の界より来り、南に流るること10町40間余湖水に入る。
広5間。

関梁

村西1町、小黒川に架す。
二本松裏街道なり。
長5間・幅5尺。



船付場

藩政時代猪苗代の御蔵米の江戸送りは主として、この蜂屋敷から船で秋山に運ばれ、秋山伝馬組によって白河街道、勢至堂峠を駄馬橇で運ばれ、白河を継ぎ江戸に運ばれたと云われる。
「明治七年猪苗代湖上漕荷取扱規則」によれば、駅所として取扱されているのは、戸ノ口・篠山・舟津・秋山・壺下共に八ヶ所であった。舟付場は今の国道四十九号線の小黒川橋の所で、そこには大きな柳の古木があり、その下に金毘羅権現が祭られ(今は観音堂の脇に祀られている)、小黒川を明治末期頃までは、三間棹もようやく川底に届く程の深さであったので、船の川上りは自由であって非常に便利な所であった。
(町史より)

熊野神社

祭神:家都御子大神、伊邪那岐命、伊邪那美命 紀伊熊野より勧請し祭る
最終更新:2025年07月22日 21:22