耶麻郡川西組百目貫村

陸奥国 耶麻郡 川西組 百目貫(とうめき)
大日本地誌大系第32巻 20コマ目

府城の東北に当り行程4里33町。
家数25軒、東西3町30間・南北3町13間、散居す。四方田圃(たんぼ)なり。

村中に猪苗代裏街道あり。

東1町21間下堂観村の界に至る。その村まで3町余。
西15町堤崎村の界に至る。その村まで1町30間余。
南12町20間湖水を限りとす。
北11町42間猪苗代城下本町の界に至る。本町は丑(北北東)に当り8町。
また
寅卯(東北東~東の間)の方5町18間北高野村の界に至る。その村まで8町。
寅(東北東)の方3町谷地村の界に至る。その村まで4町20間余。
未申(南西)の方3町7間釜井村の界に至る。その村まで9町10間余。
未(南南西)の方13町26間烏帽子小屋村の界に至る。その村まで15町50間余。

昔未(南南西)の方6町に松木橋(まつきはし)という端村あり。今はなし。

端村

仁蔵新田(にざうしんでん)

本村より未(南南西)の方8町50間余にあり。
家数5軒、東西17間・南北36間、四方田圃なり。
村南に二本松裏街道あり。

山川

小黒川

村東40間余にあり。
谷地村の境内より来り、南に流るること10町30間余蜂屋布村の界に入る。

神社

湯殿神社

祭神 湯殿神?
勧請 不明
端村仁蔵新田の北にあり。
鳥居あり。烏帽子小屋村修験常光院司なり。
もと稲荷の末社あり、その祠損して今(しばら)く本社に相殿とす。

寺院

愛宕堂

村中にあり。
何れの頃の創立ということを知らず。
村民の持なり。



村名の変遷

明治8年に島田村・堤崎村・百目貫村・谷地村が合併して磐里村となる。
明治22年に町村制施行により、千代田村・堅倉村・西舘村・磐里村が合併し耶麻郡千里村が発足。
昭和30年に猪苗代町・翁島村・月輪村・吾妻村が合併して猪苗代町が発足。千里村は消滅。

地蔵堂

地蔵尊 火難除子育て地蔵尊と言い伝える。
建立 弘仁八年(817)六月二十四日
祭日 旧六月二十四日
堂内仏像 聖観音及び六地蔵その他四体
子安観音は猪苗代三十三観音二十番札所
安政二年(1855)建立の石造地蔵尊は、大公孫樹の根本に立座し一名「ヌレ地蔵」と呼んでいる。

麓山大権現

祭神 不動明王
祭日 旧九月十七日

湯殿山神社(仁蔵)

千里村社寺明細書に「往古仁蔵分の百姓共越後国より移住の節、生国の鎮守神、湯殿神社を勧請す」
祭神 大己貴命
祭日 八月八日

  • 往古は松木南(橋か?)、ニ蔵新田を含む大集落で、地蔵堂の御詠歌に「数も限らぬ百目貫」とあり、部落内の所々に古い呼び名の屋敷跡が幾つもある。
最終更新:2025年08月18日 23:17