耶麻郡川西組三城潟村

陸奥国 耶麻郡 川西組 三城潟(さんしやうかた)
大日本地誌大系第32巻 22コマ目

この村昔は内城村といい、そのかみ三浦経連始て猪苗代に来りし時その子経泰・赤房・義康(五目組熱塩村示現寺所蔵の古文書に、三浦大炊小太郎左衛門尉盛通とあり。舊事雑考にまた房丸加冠の後の称なるべしとあり)という3人を連れ来り(ここ)に至り、3館を築き住せし(ゆえ)今の名に改むという。
村東に中堀という字あり。今なお八幡社の四方土居の形あり。

府城の東北に当り行程3里31町。
家数27軒、東西2町24間・南北1町8間。
二本松裏街道に住し南は湖水により四方田圃(たんぼ)なり。

東北、共に村際にて新在家村に界ふ。その村は北に当り4町10間余。
西2町45間西窪村の界に至る。その村まで8町。
南2町54間湖水を限りとす。
また
戌(西北西)の方1町桜川村の界に至る。その村まで7町余。

神社

八幡宮

祭神 八幡宮?
相殿 伊勢宮 2座
   稲荷神 2座
   熊野宮 2座
   山神
   聖神
   日光神
   湯殿神
   若宮八幡
勧請 三浦経連が館を築いた時期
村西にあり。
数圍の高木蕃蔚し祠宇やや古たり。
昔経連3館を築きし時鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して鎮守とし田地5段を寄付すという。今宮田という処あり。また宮井・東馬場・西馬場等の名残れり。後大に衰えしを肥後守正之再興せり。
7月19日祭禮あり。また9月29日流鏑馬の式あり。
鳥居 両柱の間8尺余。
本社 1間四面、南向き。
幣殿 1間半に1間。
廃田 5間余に2間。

神職 佐野壱岐

その先は中務常忠とて伊予国の者なり。加藤氏に事え会津に来り、寛永中(1624年~1645年)加藤氏遷されて後本郡下利根川村に住し(それ)よりこの社の神職となる。今の壱岐由次は常忠6世の孫なり。

寺院

長照寺

村北にあり。
曹洞宗、山號を大宮山という。
縁起を案ずるに、慶長8年(1603年)蘭室という僧越後国指合村光明寺より来り、この村の観音堂荒頽せしを再興しこの寺を開くという。光明寺の3世黙山を開山とし即その寺の末山となる。
客殿に観音を安じ本尊とす。長2尺、中に腹籠の観音あり。三浦経連の守本尊なりという。