この村昔は内城村といい、そのかみ三浦経連始て猪苗代に来りし時その子経泰・赤房・義康(五目組熱塩村示現寺所蔵の古文書に、三浦大炊小太郎左衛門尉盛通とあり。
舊事雑考にまた房丸加冠の後の称なるべしとあり)という3人を連れ来り
爰に至り、3館を築き住せし
故今の名に改むという。
村東に中堀という字あり。今なお八幡社の四方土居の形あり。
府城の東北に当り行程3里31町。
家数27軒、東西2町24間・南北1町8間。
二本松裏街道に住し南は湖水により四方田圃なり。
東北、共に村際にて
新在家村に界ふ。その村は北に当り4町10間余。
西2町45間
西窪村の界に至る。その村まで8町。
南2町54間湖水を限りとす。
また
戌(西北西)の方1町
桜川村の界に至る。その村まで7町余。
神社
八幡宮
祭神 |
八幡宮? |
相殿 |
伊勢宮 2座 |
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稲荷神 2座 |
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熊野宮 2座 |
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山神 |
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聖神 |
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日光神 |
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湯殿神 |
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若宮八幡 |
勧請 |
三浦経連が館を築いた時期 |
村西にあり。
数圍の高木蕃蔚し祠宇やや古たり。
昔経連3館を築きし時鎌倉鶴岡八幡宮を勧請して鎮守とし田地5段を寄付すという。今宮田という処あり。また宮井・東馬場・西馬場等の名残れり。後大に衰えしを肥後守正之再興せり。
7月19日祭禮あり。また9月29日流鏑馬の式あり。
鳥居 両柱の間8尺余。
本社 1間四面、南向き。
幣殿 1間半に1間。
廃田 5間余に2間。
神職 佐野壱岐
その先は中務常忠とて伊予国の者なり。加藤氏に事え会津に来り、寛永中(1624年~1645年)加藤氏遷されて後本郡下利根川村に住し夫よりこの社の神職となる。今の壱岐由次は常忠6世の孫なり。
寺院
長照寺
村北にあり。
曹洞宗、山號を大宮山という。
縁起を案ずるに、慶長8年(1603年)蘭室という僧越後国指合村光明寺より来り、この村の観音堂荒頽せしを再興しこの寺を開くという。光明寺の3世黙山を開山とし即その寺の末山となる。
客殿に観音を安じ本尊とす。長2尺、中に腹籠の観音あり。三浦経連の守本尊なりという。
最終更新:2020年06月24日 13:38